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2001-01-01から1年間の記事一覧

2001年9月11日

のんびり本棚の奥を引っかき回しているうちに世の中は騒然としてきてしまった。情報デザインという観点から今回の事件をどう見るか…というような原稿を書かなければいけないのかなぁ、とも考えてはみたが、しかし今回の事件はネタにするには気が引ける。 も…

「PERSONAL DTP SYSTEMS」から「情報デザイン基礎講座」へ

先週のお約束通り、今回から4回にわけて12年前に書かれた「情報デザイン基礎講座」の原稿をここに再掲載させていただく。『Bug News(バグニューズ)』は株式会社BNNから発行されていたDTP専門月刊誌であり、「情報デザイン基礎講座」は1988年5月号から1989…

1989年夏『情報デザイン基礎講座』のための前書き

先週、「10年ちょっと前の原稿を再掲載させていただく」と書いた。正確にはちょうど12年前の夏から秋にかけて、(おそらく)日本初のDTP専門誌『BugNews(バグニューズ)』に連載した原稿である。この業界での12年前など大昔だが、この領域での基本的な問題…

超不況、それでも海外、夏休み。

“紙のデータをいかにデジタルデータに変換するか”なんて悠長な話をしているうちに、日本は全国的に夏休みに突入しつつあるらしい。テレビのニュースでは「空前の出国ラッシュ」なんだそうだ。でもその後のニュースは「日経平均はバブル以降最安値を更新した…

デジタルデータの2つの顔

ここ数回のテーマは“紙に定着されてしまった情報は共有化が難しい。故に、情報を紙から引きはがし、デジタルデータという形で誰もが自由にアクセスできるような蓄積保管する仕組みを作らなくてはならない”だ。最初からデジタルデータで作ってしまえば話は早…

紙のドキュメントをデジタルデータにする

今回のテーマは“ボールペンで紙に書いたメモを、どうデジタル化し共有するか?」だが、これは“ボールペンで紙に書いたメモ”に限った問題でもない。たとえば、プリントアウトされた紙資料、あるいは、新聞や雑誌のスクラップ、つまりは保管・蓄積を必要とする…

デジタルツールでメモが取れない理由

“IT革命の現場であるミーティングの場”で、僕はPCやPDAではなく紙(A4のコピー用紙だったり、Post-itだったりするが)にボールペンでメモを取る。コンピュータ・リテラシーがないからではなく、10年以上“なんとかしてデジタルツールでメモが取れないか”と悪…

書くことの“カラオケ効果”

テーマは前回に続いて、“なぜ、我々はミーティングの時に全員でメモを取るのか?”だが、手っ取り早く結論を書いてしまうと「我々は書くことによって聞いていることを、自分の内部に取り込みそして定着させている」からである。そして、これを僕は「書くこと…

ミーティングは「IT革命」の現場である

…というわけで6回にわたって書いてきた「見えない“情報が伝わる構造”を探して」は、先週で終えるつもりだったのだが、書いておかなければならないことがたくさんあることに気が付いてしまった。しかし、バックナンバーのページを見ると同じタイトルが並んで…

見えない“情報が伝わる構造”を探して。その4

さて、最後はコンテンツの話だが、ここでいうコンテンツとは映画や音楽やアニメなどの“消費財としての情報”ようするに「あー、面白かった」で終わる(目的とする)コンテンツを指すわけではなく、“生産財としての情報”つまりあなたの仕事の実体となる情報(…

見えない“情報が伝わる構造”を探して。その3

今回も前回の続き。第3階層「ライブ・インタラクション」という部分の説明。コンテクストとコンテンツの間になんでこんなおかしなモノが入っているのかと思われるかもしれないが、コンテクストのないコミュニケーションというのも存在する。たとえば、駅のホ…

見えない“情報が伝わる構造”を探して。その2

というわけで、少々、脱線ぽくもあったのだけど、前々回と前回に渡って、「見えない“情報が伝わる構造”を探して」に出した図の「インフラ」について説明してきたが、言いたかったのは、“紙からディスプレイへ”の流れは逆になることはあり得ず、情報流通の主…

電子書籍という名のアンドロイドあるいはレプリカント

前回、読むためのソフトウェアとしてワードプロセッサが使えるのではないか、と書いた。しかし、世の中には電子ブックあるいは電子書籍と呼ばれる“読むためのソフトウェア”あるいは“仕組み”があるのでは、と思われた方も多いかもしれない。 1990年代の初頭に…

新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない

「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない」というのは、イエス・キリストの言葉だが、この“新しいぶどう酒”を“デジタルコンテンツ”に、そして“新しい革袋”をウェブやメールといったデジタルツールに置き換えた場合にどうなるか、というのが今回の…

見えない“情報が伝わる構造”を探して

情報の内容をコンテンツとするなら、そのコンテンツの持つ意味を確定させるのがコンテクスト(文脈)である。それは、恋人との会話で囁かれる「バカ」と、出会い頭に衝突しそうになったバイクに向かって叫ぶ「バカ」の意味が違う、ということを考えればおわ…

読み手に合わせて情報を最適化すること

前回、“あなたが「うーん、これはグラフにしておいたほうが課長は喜ぶだろうな」と考えたとしたら、そこでもう情報デザインの領域に足を一歩踏み入れているのである。”と書いた。でもそれは、数値をヴィジュアルに表現しようとしたからではなく、想定される…

誤解を生まない情報をデザインする方法

前回、誤った情報は“受け手が情報を受け取り損ねることによって作られる”と書いた。だから、誤った情報を生み出さないためには“正確に読み取る技術”こそがむしろ重要なのではないか、もっと「読む」ということに対して意識的になるべきではないかということ…

読むことに関する神話、崩壊前夜。

我々の周りには様々な種類の情報が存在する。報告書や企画書などのビジネス文書もあれば、大衆小説のような娯楽情報もある。テレビのバラエティ番組や写真週刊誌のようなゴシップも情報といえば情報だ。これらの情報はすべて情報デザインの対象になりうるの…

デスクワーカーのための情報デザイン

いよいよ4月。きりもいいので、今回からこのコラムは実践編に衣替えすることにした。ところで「情報デザイン」が対象とする分野は少々幅広い……広すぎるので、とりあえず「デスクワーカー」に的を絞ることにした。デスクワーカーとは会社で事務作業をしている…

理想の“ワンハンド・モバイル”は携帯電話

■理想は“ワンハンド・モバイル” 僕は大流行のiモードのユーザーである。ようするに約2000万分の1だ。しかし、音声通話もiモードメールもほとんど使わない。使うのは、まず目覚まし時計代わりのスケジューラのアラーム。普通の目覚ましよりもいいのは、何回で…

誰でも使える“ユニヴァーサル・コンピューティング環境”

前回、僕は“ファイル管理がきちんとできない”という僕自身の性格的な欠点を棚に上げて、“情報リテラシーや情報デザインですべての問題が解決するわけではない”と書いた。あまり褒められた態度ではないのは承知の上だが、“盗人にも3分の理”ということわざもあ…

リテラシーの問題か、それとも性格の問題か?

2年ほど前に自分の会社のドメインを取った。取ったのはいいのだが、なにせ個人会社だからエンジニアを雇ってセキュリティ万全の自社サーバーを立てるだけの余裕はない。ホスティングも検討してみたが当時はまだどこも少々お高くて、僕は「うーん」と唸ったき…

玉石混交の百科事典は使い物になるか

先日、眼にゴミが入ったようにゴロゴロして、それがいつまで経っても取れないので仕方なく目医者に行った。女医さん、軽く一言「角膜が剥離しかかってますね」。そう軽く言われてしまったので「たいしたことはないんだな」と思いつつも、どうも「剥離」とは…

ホームページの時代がやってくる

なんだかとってもレトロなタイトルだ。ほんとは最初に“ヤァヤァヤァ”と付けようかとも思ったのだけど……。ともかく「ITバブル崩壊」などと騒がれるようになった。米国の状況をニュースで読む限りはそんなふうも見えるのだけど、経済の専門家でもない僕にはほ…

“コミュニケーション”というやっかいな問題

現在のウェブサイトは学術サイトや個人サイトを除けば、基本的にはECに代表されるe-ビジネスのための企業サイトであり、そこでの情報デザインは「使いやすい自動販売機のインターフェイス、あるいはスムーズな操作を可能にする現金自動支払機のインターフェ…

出版業におけるeビジネスの可能性

僕が出版業界の片隅で仕事をしはじめた頃、「入りきらない広告を入れるために別の雑誌を作る」という話を小耳にはさむようになった。雑誌広告は一定の割合以上にしてはいけないという規制があるのだが、せっかく広告が集まっているのにそれを断るのはもった…

情報環境をビジネスにする可能性

情報環境という言葉に思い至ったのは数年前、新聞社がWebサイトを立ち上げた頃だ。当時僕は知人とインターネットでなんか面白いことをしようというので会社を立ち上げたところで、メインのクライアントを獲得して「さて次は」という話になったところで、「We…

論理的に構築された『徒然草』は面白いか?

インターネットには個人の日記ページが膨大にある。膨大に……というのは、gooで検索して約14万件、Googleで検索して約149万件というようなことだ。140万と14万ではずいぶんと開きがあるが、どちらにしろ全部に眼を通せるような数ではない。 たとえば、日記ポ…

情報デザインにとっての視覚デザイン

正月らしくない正月と情報デザインという組み合わせは、やはりいまいちピンと来なかった。もうちょっとベタな話をしてみることにする。情報デザインの立場から視覚的デザイン(いわゆるデザイン)を見るとどう見えるかという話だ。 デザインはカッコイイもの…

新世紀気分希薄な新年にあたって

僕は今、はっきりとした正月気分でもなく、さりとて、きっぱりとしたお仕事気分でもない、どうにも形容のしようのない状態にある。自宅には居るものの、このコンピュータはケーブルテレビの回線経由でインターネットに常時接続されているから、メールは飛び…