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読み手に合わせて情報を最適化すること

前回、“あなたが「うーん、これはグラフにしておいたほうが課長は喜ぶだろうな」と考えたとしたら、そこでもう情報デザインの領域に足を一歩踏み入れているのである。”と書いた。でもそれは、数値をヴィジュアルに表現しようとしたからではなく、想定される受け手にとってもっとも受け取りやすい情報の形は何かと考えたからだ。
グラフよりも数値のほうが直感的に把握できる人もいるかもしれないし、細かい数字は不要、短めの文章で書け、という人もたぶんいるはずだ。そして時と場合によって同一人物でも事情は変わってくる。いつでもどこでも、なんでもかんでもグラフ(図)にすれば情報デザインである、というものではない。ポイントは情報そのもののスタイルをどうするかではなく、むしろ受け手の状態を正確に読みとって、それに合わせて情報を最適化する(努力をする)ということなのだ。


■“ゼロベース”で考える情報デザイン
最適化というとなんだか面倒そうに聞こえる。しかも相手が目の前にいればともかく、電子メールでは相手の状況はわからない。それで相手に合わせてとなったらどうしたらいいのか……だが、相手が暇を持て余しているご隠居ならともかく、仕事先であればそれが上司であれ取引先であれ部下であれ、忙しいことだけは間違いない。つまり、最適化された情報とはすなわち簡潔な情報である、と考えていい。具体的に言えば「短時間で読めて短時間で理解できて短時間で意志決定できる必要十分な情報」である。極論すれば読んでから意志決定までゼロ秒しかかからないのが理想的、という意味でとりあえず“ゼロベース”と呼ぶことにする。
日本古来の表現で言い換えるなら“以心伝心”、“一を聞いて十を知る”だ。たとえば、こんな会話。……A課長「ねぇ、あれ、どうなってる?」Bさん「ああ、あれなら電話しておきましたから大丈夫です」A課長「そう、じゃ行って来るから、あとはよろしく」……オフィスでよく目にする光景、よく聞く会話なのだが、もし、まったくの部外者、たとえばあなたがここで突然Bさんの立場に立たされたら途方に暮れるはずだ。それは、この二人の会話を成立させているコンテクスト(背景情報、二人が共有している土台)をあなたが持っていないからだ。


■コンテクストの厚さと情報処理時間は反比例する
つまり、“以心伝心”“一を聞いて十を知る”が成立するのは当事者間にコンテクストがある場合に限られる。そのコンテクストも厚ければ厚いほど、強固であればあるほど、少ない情報量で多くのことを伝えることが可能になる。逆に言えば業務における情報伝達効率を上げるためにはコンテクストを分厚くしておけばいい。退社後の赤提灯での仕事の話とも社内のうわさ話とも付かない会話、ランチタイムや給湯室でのお喋り、大部屋であちこちから聞こえてくる様々な電話の応対、そういった直接的には自分の業務と関係ない情報がいつのまにか社内に分厚いコンテクストを作り出していたのである。
日本人はダラダラと仕事をする、退社後もなんだかんだと拘束されるのは不合理である、よくそんな批判を耳にするが、実はそれがあったからこそ、日本型効率経営が可能になっていたはずなのである。その功罪はとりあえず問わないとしての話だが、これは、日本人の情報処理にとって、ある原型をなすスタイルであり、俳句や川柳といった「少ない情報で多くの情報を伝える」コミュニケーションスタイルが生み出した企業風土であるとさえ言える。しかし、その風土は急速に崩壊しつつあるように見える。最近の若い人は個人の時間を重視するから退社後まで拘束されることを嫌う。大部屋での騒がしい電話応答のクロストークは、電子メールによる沈黙のコミュニケーションに取って変わられつつある。さらに転職率の増大。それらすべてがコンテクストの形成を難しくしている。
つまり分厚いコンテクストを前提とする“以心伝心モデル”でのコミュニケーションが成立しなくなりつつあるのだ。ではどのように“薄い”コンテクストの中で効率的なコミュニケーション、情報伝達システムを設計するかがここでいう“ゼロベースで考える情報デザイン”のテーマになる。


[2001年04月26日]