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2003-01-01から1年間の記事一覧

クリスマスプレゼントに「超頭脳」をもらった、と想定してみる

「超頭脳」とは、見たこと聞いたこと読んだことをすべて記憶できて、しかも、それを同時に縦横無尽に比較検討できるような頭脳だ。もし僕の頭がそういうものだったら、たぶん「考えることを支援する道具」としてのポストイットもノートもコンピュータもアウ…

知識の構造を探る目的

大脳生理学などによって脳の物理的・科学的な構造はある程度解明されてきたのかもしれないが、脳と知識(と呼ばれる何か)の関係についてどれだけのことがわかっているのだろうか。日常的な感覚でいうなら、なんとなく知識は脳に蓄えられているような気はす…

知的活動を支援するソフトウェアをゼロから考え直すこと

知人から書評を依頼されたせいもあって読書法の話にそれてしまったが、ここでの本筋は「シンプルなカードや封筒がどうして知的ツールになるのか」だ。そして、それを考える目的はそこから新しいタイプのソフトウェアを構想してみたいということだったりする…

本をフィールドワークの対象にする

先週、少々おかしな「読書法」について説明した。本を読みながら赤線(青線の場合も緑線の場合もあるかもしれない)を引いたり、直接書き込んだり、ではなく、わざわざポストイットを貼ってそこにメモを書くという方法だ。デメリットはもちろん面倒なこと、…

デジタル読書法(?)のすすめ

少し恥ずかしいタイトルだ。他人に読書法を説くほどの読書家ではないし、デジタルといいつつ写真をご覧になればおわかりの通り、使っている道具はごく普通の紙の本とボールペンとポストイットで、どこにもデジタル機器の姿はない。でもこの方法は本質的にデ…

昔、ワードプロセッサの時代があった。

いや、正しくは「ワードプロセッサは我々の思考を支援するツールになりうると言われた時代があった」あるいは「知的支援ツールとしてワードプロセッサが脚光を浴びた時代があった」というべきかもしれない。当時、僕はそういうテーマで本を書いてくれと頼ま…

知的装置としてのカードと封筒

ありふれた、ただのカードあるいはどこにでもある封筒が、魔法の呪文を唱えると立派な知的ツールあるいは知識を創造するための環境になる。あるいはそういうモノとして見えてくる(先週の記事)。なぜ、そんなことが起きるのかという問題も面白いのだけど、…

ケータイをパチパチしながら知的ツールとは何かを考える

そもそも、ここのテーマは知識流通であるのはわかっている。が、どうも最近いろいろと考え込んでしまうことが多いので、半分は逃避行動でケータイをパチパチ(ケータイのテンキーで文字を入力するときの擬音)しているような気がする。で、昨日、いつものよ…

ケータイを持ったサルの中には発想をクリッピングするサルもいる

先週「クリッピングを共有できればいいのに」と書いたが、ウェブページや紙の新聞でこれをやろうとすると著作権の問題に引っかかる。もちろん個人、非営利であればそれほど問題にはならないが、企業や組織で新聞をコピーしたりウェブページをクリッピングし…

個人の発想、集団の発想

ここしばらく個人の発想のことばかり書いているが、先日のシンポジウムで最後に話題になったのは「小さな集団を創造的にするためにはどうすべきか」だった(僕の個人的な解釈によれば、だが)。集団を構成する個々人の発想が豊かになることはもちろん大切だ…

知識は使うことで知恵になる

我々は外界の事象・現象を見てそれが何であるかを認識する。たまにはそれに触発されて何かを思いつくこともあるが、それは我々が持っている知識によって可能になっている。しかし、その知識に頼り過ぎると、どんなものを見ても「それはそれ、これはこれ」と…

次なる発想を得るために頭の中を空っぽにしておくこと

先週まで書いた原稿をつらつら眺めていて「あれ?」と思った。それはいくら外界からの情報を遮断したところで、自分の頭の中にはいろんな知識が貯め込まれているではないか、ということだ。人間、誰でも1日は24時間しかない。同じように、脳の容量も無限で…

発想を育てるために非日常的空間環境をつくりだす

先週、「ごく小さな気づきを育てるためには立ち止まることが必要だ」と書いた。たとえば「あれ!」と思った瞬間に、歩いているなら文字通り立ち止まること。ディスプレイを見ているなら目をつぶってみること。ラジオを聴いているなら耳を塞いでみること。よ…

発想を育てるインキュベーション環境をどう作るか

「発想」あるいは「発想法」などと書くと、何か特別なことのように思われるが、現実に我々が遭遇する「発想」というのはごく小さな思いつき、流行の言葉を使うなら「気づき」に過ぎないと思う。言葉にするなら「あれ?」だろう。その「あれ?」を単なる思い…

独創が創り、平凡が評価する

独創的な人間はいくらもいる。が、その中で社会にとって、あるいは組織にとってプラスの効果を持つ独創的な人間は意外に少ない。生物における突然変異が常に好ましいことではないのと同じように。では「好ましい独創性」とは具体的にどのようなものか、とい…

誰かのために、自分が獲得した知識を共有化する理由

以前いた会社で「情報共有化」について、割と真面目かつ現実的に考えていた時期がある。そこでネックになったのが、情報化コストを誰が負担するのかという問題だ。特定のコンテクストが存在する会話の中であれば数分で喋れることでも、テキストとして書くと…

記憶へのアクセシビリティを確保する

我々の頭に浮かんだ着想や得た知識はいずれ消滅する。どんな記憶力の良い人であっても、その事実から逃れることはできない。故に我々はその知識を外部の紙やコンピュータに書き写し、その書き写されたものを見る・読むことで頭の中に知識を再生成させるので…

書物と出版、文書と文書管理システム

先週の原稿には、今泉氏のご意見をはじめ、いくつかいただいた。それについてはいずれ触れるとして、もう少し問題を身近なものにしておきたいと思う。書物と出版と言ってしまうと、特定の業界(出版業界)を思い浮かべられる危険性もある。まずは書物を「文…

ナレッジマネジメントシステムとしての書物

ちょっと以前のことになるが「ナレッジマネジメントシステムとは何か」について考える機会があった。何冊かそれらしい本は読んでみたのだが、どうもピンと来ない。それでナレッジ、マネジメント、システムに分解してみたり、それを知識、管理、技法と言い換…

なぜアルキメデスは裸のまま家まで走って帰ったのか

国王から「自分の王冠が本当に純金製かどうか、壊すことなく知る方法を考えよ」と言われていた彼は、シラクサの街にあった共同浴場で浴槽に浸かった時にあふれ出た湯を見て、後に「比重の原理(浮力・浮体の原理)」と呼ばれる原理を発見した、のはご存知の…

知識とは生成・消滅を繰り返す、ある種の「現象」ではないか

「知識とは生成・消滅を繰り返す現象ではないか」というアイデア(知識)が生まれた途端、それは、ある詩の一節にリンクされた(連想した)。いや、むしろ、その一節が「知識とは何か」という僕の問いにヒントをくれたというべきか。どちらが本当なのか、そ…

「知識流通」とはどのような事態を指すのか

知識流通という言葉は、じっくり見ると実は奇妙な言葉であることに気が付く。知識という言葉にはどこか高尚なイメージがある。一方、流通と聞くと、ついコンビニやスーパーや家電量販店に並ぶ日用品をイメージする。知識流通という言葉には知識が形のあるモ…