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「知識流通」とはどのような事態を指すのか

知識流通という言葉は、じっくり見ると実は奇妙な言葉であることに気が付く。知識という言葉にはどこか高尚なイメージがある。一方、流通と聞くと、ついコンビニやスーパーや家電量販店に並ぶ日用品をイメージする。知識流通という言葉には知識が形のあるモノであるかのようなニュアンスがあり、そこに少々違和感を感じるのだ。[松岡裕典

たとえば、知識はどこにあるのか?……普通に考えれば我々の頭の中だということになるだろう。知識はどんな形をしているのか?……形は、どうもなさそうな気がする。人間の頭の中にある形のない知識がいったいどうやって「流通」したりできるのだろうか。どうでもいいことのように思えるが、ここ半年「知識流通、知識流通……」とお題目のように唱えているうちにだんだんこの「知識とは何か」という根本的な疑問が膨らんできてしまったのだ。

そもそも、知識とは何かがわからないまま、どうやって知識を流通させられるというのだろう。いや、別にそんなことはわからなくたって、現実的に知識は流通しているように見えるのだからそれでいいではないか、という考え方もある。しかし、一時さかんに喧伝された「知識管理システム(ナレッジマネジメントシステム)」とやらも、どうもいまいちパッとしない(ように見える)現状を鑑みるに、どうも、なにか根本的なところに原因があって、それをクリアしないとこの先には行けないのではないか、と考え始めたところだ。
(Thu, 31 Jul 2003)

[オリジナルは日経BP社 先端技術情報センターへの寄稿]