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発想を育てるインキュベーション環境をどう作るか

「発想」あるいは「発想法」などと書くと、何か特別なことのように思われるが、現実に我々が遭遇する「発想」というのはごく小さな思いつき、流行の言葉を使うなら「気づき」に過ぎないと思う。言葉にするなら「あれ?」だろう。その「あれ?」を単なる思いつきとして見逃してしまうか、あるいは「あれ?」に続けて「どうしてこうなってるのか?」という次の疑問に結びつけるかで、その後がずいぶんと違ってくるのではないだろか。[松岡裕典

よく「天才とは3%の天賦の才と97%の努力が作るものだ」などと言う。言い換えるなら「一般人は97%の努力をしても、どうしても残りの3%が足りないから天才になれない」になるはずだ。しかし、こう考えてしまうと、どうも「どうせ僕がやっても無駄だ」という気分になって面白くない。むしろ「天才とは3%の小さな思いつきを97%の努力で100%にする人間のことだ」あるいは「97%努力するからこそ、残りの3%が天から与えられる」と考えたほうが、気分が良くなるんじゃないかと思うのだ。

つまり発想とは「棚からぼた餅のように落ちてくるもの」ではなく「日々額に汗して働いた結果、神様が授けてくれるもの」あるいは「精一杯やった、後は運を天に任せた結果、与えられる3%」なのではないかということだ。では、仮にこう考えたとして、具体的にどうすればいいのか。がむしゃらに身体や手を動かしていればなんとかなる、ほど簡単な話ではないだろう。目前のことで頭をいっぱいにしていたのでは、せっかく誰かが贈り物を差し出しているのに気が付かない、なんて悲劇に見舞われないとも限らない。

たとえば街を歩いていて、あるいはディスプレイでウェブを見ていて「あれ?」と思ったとする。まずは何をさておいても忘れないうちに書き留めておくことだ。忘れてしまえばせっかくの3%がゼロになってしまう。特にインターネットが普及してからというもの、我々の見聞きする情報量は爆発的に増えた。つまり次から次へと脈絡のない情報が頭の中に入ってくるから、ヘタをすると、その「あれ?」という気づきは数秒後に消えてしまう。

つまり、ここで重要なのは「立ち止まること」なのだと思う。意志決定には速度が必要だが発想を育てるにはスローでもまだ不足で、いったん立ち止まらないといけないと思うのだ。では立ち止まって何をするかといえば「なぜ」を考えることだ。その「なぜ」の対象は、見聞きした情報そのものかもしれないし、あるいは逆に、なぜ私はこの情報に対して「あれ」と感じたのだろうか、つまり、自分自身が対象かもしれない。

そして、そこでメモをする。あるいはメモしてから考えるのでもいいが、ともかく「あれ?」と感じた対象と、なぜ「あれ?」が起きたかの理由(もちろん仮説でかまわない)をセットにしてメモしておく。それだけでメモの価値は飛躍的に高くなる。そもそも、対象だけをメモしても、たいがいの場合、なぜメモしたか自体を忘れてしまうからだ。(この項続く)

(Thu, 25 Sep 2003)