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独創が創り、平凡が評価する


独創的な人間はいくらもいる。が、その中で社会にとって、あるいは組織にとってプラスの効果を持つ独創的な人間は意外に少ない。生物における突然変異が常に好ましいことではないのと同じように。では「好ましい独創性」とは具体的にどのようなものか、といえば、よく挙げられるのは「一般人以上に常識人である」ということだ。つまり、個人の中に独創と平凡がうまくバランスして共存しているということである。そう簡単にできることとも思えないが、集団としてならそんなに難しいことではないのではないか。[松岡裕典

出版業界に近いところにいるので、編集者に知り合いが多い。そしてよく聞かされるのが「作家さんと付き合うことの大変さ」である。独創的であるということは、基本的に「社会の常識(枠組み)から外れている」ということだ。そういう場所に居るからこそ、一般人には見えない何かが見える、発見できるのだし、その結果として今までにないモノを創り出すことができる。

もちろん、いいことばかりではない。社会の枠組みから外れるということは自分で自分を制御しなくてはならなくなる。常に自分を客観的、相対的に評価しなくてはならない。が、たいがいの場合、それを始めると独創性は消えてしまうことが多い。作家と呼ばれる人が破綻しがちなのは、このバランスを取ることが困難であることのの証明だろう。

しかし、仮にこれを分散処理、複数の人間で分担するとしたらどうか。作家と編集者のコンビというのは、実はこの実装型と考えることができる。平凡=社会にとってどうかという評価を編集者が一手に引き受けて、作家に対して「思う存分外れても大丈夫な状況」を作るわけだ。編集者は作家の独創性を評価し守護する機能、生まれたての脆くて壊れやすい独創を守るインキュベータのような働きを担っているのである。

この方式は他でも使えるはずだ。もちろん、固定的な役割分担である必要はない。他人が思いついた発想は自分が守り、自分の発想は他人に守ってもらう、そういう了解を作ることができれば、集団としての独創性・創造性を育てることが可能になるのではないかと思うのだが、どうだろうか。

(Thu, 18 Sep 2003)