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発想を育てるために非日常的空間環境をつくりだす

先週、「ごく小さな気づきを育てるためには立ち止まることが必要だ」と書いた。たとえば「あれ!」と思った瞬間に、歩いているなら文字通り立ち止まること。ディスプレイを見ているなら目をつぶってみること。ラジオを聴いているなら耳を塞いでみること。ようするに日常空間を生成している様々な情報を遮断することだ。[松岡裕典
ここでいう環境あるいは空間は、物理的な空間というよりはむしろ心理的な空間である。もちろん、物理的な空間は心理的な空間を創り出す上では大きなファクターを占めるが、「心頭滅却すれば火もまた涼し」というように、訓練することによって、変えることが不可能に見える物理的な空間を変容させることも不可能ではない。
訓練するというと大変なことのように思われるが、ヨガの行者になろうというわけではない。たとえば、朝、通常よりも15分早く起きて家を出る。あるいは15分早く打ち合わせに出かけるのでもいい。そして会社や打ち合わせの場所に着いたら近くの喫茶店に入る。しかし、手持ちぶさただからといって、そこにある新聞や雑誌を読んではいけない。カバンの中からノートPCを取りだしてメールチェックをしてもいけない。なぜなら、そのことによってせっかく作った15分が日常空間になってしまうからだ。ここでの眼目は、そういう情報が創り出す「日常=物理空間」を遮断して、あなたの内部に存在する何かに耳を傾けることだ。
そうそう、だからこれはちょっと仏教の断食修行に似ている。仏教の断食はダイエットのためにするわけではない。生きていく上で必須の「食物を摂る」という行為を一時的に中止すること、簡単に言うと「ちょっと仮に死んでみること」である。つまりは「生きるのを立ち止まること」だ。同じように、毎日摂る食事をしばらくの間止めるように、毎日というより毎分・毎秒飛び込んでくる情報を遮断することで、しばらくの間、自分を情報的に死んだ状態にすることだ。
そうやって創り出された15分が、まずは最初のインキュベーション空間になるだろう。そこで「あれ?」という小さな思いつきや疑問についてしばし考えてみるのである。この行為にあえて名前を付けるなら「遮断」ということになるかもしれない。
現実の物理空間で「遮断」を実現することはそんなに難しくない。ウォークマンだって、好きな音楽を楽しむための装置ではなく、外界の音を遮断する装置と考えられなくもない。で、ここでの問題は、実はディスプレイに表示される情報なのだ。ウェブで探し物をしていて飛び込んでくる「それ以外」の情報、あるいは、突然のメール。これらを遮断するには「ウェブを開かない、メールチェックをしない」ということしかないのだが、ほんとうにそうするしかないのか? というのが、実は疑問なのだ。
(Thu, 02 Oct 2003)