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本をフィールドワークの対象にする

先週、少々おかしな「読書法」について説明した。本を読みながら赤線(青線の場合も緑線の場合もあるかもしれない)を引いたり、直接書き込んだり、ではなく、わざわざポストイットを貼ってそこにメモを書くという方法だ。デメリットはもちろん面倒なこと、メリットは、本からコンテンツをはぎ取ることでハンドリングしやくなるからである。[松岡裕典
本を読みながら「ふーん」とか「あれ?」とか「そういえば」と思うことはあるはずだ。そう思いながら読み進んでしまうと、次の「ふーん」や「あれ?」によってオーバーライトされて忘れてしまう。そのまま最後まで読んで残るのは漠然とした読後感だけになってしまう。記憶力のいい人なら、それらの「ふーん」や「あれ?」を事細かに全部覚えているかもしれない。でも、それにしても、そういう記憶は時間とともに消えていく。
それを防ぐために、本に線を引いたり書き込みをするのは簡単なのだが、これにはこれでデメリットもある。それは、書き込みや線引きによって1回目に読んだ時の自分が本に定着されてしまうことだ。同じ本でも2度、3度と読むと、そのたびに「あれ? こんなこと書いてあったっけ」という箇所にぶつかる。もちろん、読むたびに本が変わるわけではなく、読む自分のほうが変化するのだ。ところが、書き込みや線引きは以前に読んだ時の自分を思い起こさせてしまって、2回目、3回目の出会いの邪魔になってしまうのである。ポストイットでメモをしておけば、それをはがしてしまえば本は買ったときのまっさらな状態に戻る。
さて、ではそうやって書き記したポストイットをはがしてどうするかというと、白い大きな紙(壁でもいいのだけど)にペタペタ貼って眺めるのである。で、うーん、ここの話とこれって実は関係があるんだな、とか、ここってひょっとして矛盾してないか? とか、この結論ってなんで導かれているんだっけ。……ようするにKJ法である。ポストイットがあれば本もフィールドワークの対象になるというわけなのだ。もちろん、あれ、これって何の話だったっけ、という場合にはポストイットに書かれているページ数で原文に当たることもできる。
さらに、きちんと整理しておけば、複数の本を横断的にオーバービューすることもできるはずだ……「はずだ」と書くのはさすがに僕もそこまではやったことはないからだ。でも、やってみるとおもしろいんじゃないかと思う。
(Thu, 04 Dec 2003)