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“コミュニケーション”というやっかいな問題

現在のウェブサイトは学術サイトや個人サイトを除けば、基本的にはECに代表されるe-ビジネスのための企業サイトであり、そこでの情報デザインは「使いやすい自動販売機のインターフェイス、あるいはスムーズな操作を可能にする現金自動支払機インターフェイスはどうあるべきか」といったテーマとほぼ同義になる。
どうでもいい話だというつもりはないが、それが情報デザインの主要なテーマであるかというと、やはりちょっと違う。というよりも、そういった明確なテーマを情報デザインという少々曖昧な切り口で考えるのは逆効果だと思う。それらはあくまでインターフェイスユーザビリティといった切り口で考えるべきことだ。
情報デザインの中心的な問題は、我々のコミュニケーションをいかにスムーズにするか、もっと明示的に書くなら「他者に情報や知識をスムーズに伝達するにはどのようすればいいのか」ということのはずだ。情報デザインの主戦場は、EC分野よりもむしろ、グループウェア、流行りの用語を使えばナレッジマネジメント(のような分野)になると思う。
グループウェアにしろナレッジマネジメントにしろ、ある種のシステム(ハードウェア+ソフトウェア)という点では大昔のMIS(マネジメント情報システム)だのSIS(戦略情報システム)だのと同じだ。そして、システムである以上、いくら優れたシステムであっても使うのは人間であり、その使い方がまずければ何の効果も得られない、のは今さら言うまでもない。
そして、MISやSISとグループウェアナレッジマネジメントシステムとの大きな違いは、前者が数値情報にフォーカスしたものだったのに比べ、後者はより人間の(曖昧な)コミュニケーションにフォーカスしたシステムだということだ。従って“導入すればそれなりの効果が見込める度合い”は、MISやSISよりもおそらくは低くなるだろう。ということは、システムのパフォーマンスはそれを使う人間のコミュニケーションスキルによって大きく違ってくるということだ。


■若い人にコミュニケーションスキルがなくなった?
ずいぶん前に「情報は受け手の中で生成されるものであって、客観的な情報が存在しているわけではない」あるいは「情報は伝わるのではなく送り手と受け手の双方に別々の情報が生まれるのだ」と書いた。もしこの仮定が正しいなら、本来コミュニケーションが成立する=理解成立することはある種の奇蹟に近いデキゴトのはずだ。
しかし、僕らはまるで“伝わって当たり前”であるかのようにコミュニケーションしてきた。
いや、していたつもりだったのだが、最近はどうも様子がおかしい。同年代ならいいのだが、若い人との間のコミュニケーションが明らかにチグハグになりつつある。例の「参ったな」と言いながら缶コーヒーを飲むコマーシャルがその典型かもしれない。
つまり、“伝わって当たり前”が通用しない時代、むしろ「コミュニケーションが成立する=理解成立することはある種の奇蹟に近いデキゴト」であることが実感できる時代になりつつあるということだ。ではなぜこんなチグハグなコミュニケーションが大手を振ってまかり通る状況になってしまったのか。
我々の側からすれば「若い人にコミュニケーションスキルがなくなった」という解釈になるかもしれないが、もし、そうであるなら若い人同士のコミュニケーションも同じようにチグハグになるはずだ。しかし、そんな話はあまり聞かない。だとすれば、これは彼らの問題ではなく、彼らと我々との間の問題ということになる。
さて、こういったコミュニケーションギャップの存在するところに、ナレッジマネジメントというシステム(道具)を持ち込んで果たしてうまく機能するのだろうか? というのがとりあえずの疑問である。もちろん、何をしてナレッジと定義するかにもよる。単なる取引先の電話番号や担当者の名前はデータではあってもナレッジと呼ぶわけにはいかないだろう。
「それなら先に言ってくださいよ」てなことを言われる状況で、解釈なしには役に立たないデータ(=ナレッジ)を共有して何がどうなるのか、いや、共有すること自体、できるのかどうか。つまり、仮に優れたナレッジマネジメントシステムができたとしてもこの状況では期待されるほどの効果は見込めないのではないか……ということなのだ。これはいくらメモリが安くなってもチップの速度が上がっても、いいソフトウェアが作られても解決しない問題だろう。いったいそれはどうすれば解決するのだろうか。


[2001年02月15日]