N/A

出版業におけるeビジネスの可能性

僕が出版業界の片隅で仕事をしはじめた頃、「入りきらない広告を入れるために別の雑誌を作る」という話を小耳にはさむようになった。雑誌広告は一定の割合以上にしてはいけないという規制があるのだが、せっかく広告が集まっているのにそれを断るのはもったいない。ではどうするか、じゃ新しい雑誌を作ろう、と、おそらくそういうことなのだろう。
そして“本誌からはみだした広告を載せるための別冊”みたいな雑誌が続々と創刊されるようになる、どころか、むしろ“広告の取りやすい雑誌を企画して発行する”といったことがあたりまえのように行われるようになった。いつのまにか、雑誌を作ることは読者に何かを伝えるための手段ではなく、広告を取るための手段に変質してしまった……ようにも感じる。
もちろん、雑誌発行の表向きの理由は相変わらず「読者のために」だ。が、そういった雑誌が重視するのは、まずは広告主であって読者ではない。読者はどちらかと言えば広告主に対して雑誌の価値を証明するための“媒体資料上の数字”として存在しているだけとも言える。そのようにして作られた“雑誌”は、それ以前の“雑誌”と同じだろうか? 少なくとも僕は以前のように“創刊誌が出ると本屋に走る”ことはなくなった。


■雑誌発行はビジネスなのか事業なのか
ビジネスと事業の違い……と聞いて首を傾げる人も多いだろう。どこが違うのかというと、まぁ、これは僕の個人的な定義で一般的な定義ではないかもしれないけど、僕は事業とは「こうしたい」「こうあってほしい」という気持ちでやるものだと思う。しかし、それを続けるためには資金が必要だ。そのためにその事業をビジネスとして成立させなければ事業そのものが継続できない、という定義というか認識なのだ。
だからこそ、収益事業あるいは非営利事業という言葉があるのだ。つまり、まず事業ありきであってビジネスはその手段に過ぎない。雑誌と広告の関係も元々はそうだった(はず)。それがある時点で順序が逆転した。一瞬にではなく数10年という時間を掛けてゆっくりとだけど、事態は確実にそのように進行していったように見える。そして、今や「収益事業として成立しない事業はボランティアである」と決めつけられてしまう時代になった。
収益事業が成立する条件は簡単に言うなら「提供するサービスよりも受け取る対価の方が大きくなければならない」ということだ。雑誌が収益事業を目指せば、何をどう言おうと「サービス<対価」を目指さなければならなくなる。乱暴な解釈だけど、本質としてはそうだ。そこには「啓蒙」も「教育」もない。なぜなら、それらは「サービス>対価」でなければ成立しない行為だからである。でもまぁ、最近は教育も「教育ビジネス」と言われる時代なので、ここで言ってることは時代錯誤も甚だしい……のかもしれない。


■出版業におけるeビジネスの可能性
さて、ではなぜ雑誌に広告が必要なのか……当たり前だが、雑誌を作るにはコストがかかるからである。雑誌を作るコストには大きく分けて、ソフトコストと呼ばれる原稿料、デザイン料、編集費、まぁようするに人件費と、印刷代、製本代、流通費など“モノとしての雑誌”を作るためのハードコストになる。ソフトコストはどうやってもかかるものの、ハードコストはインターネットを使うことでタダになる、わけではないが劇的に安くなる。
仮に広告費がそのままハードコストに充当されるなら、ハードコストがタダになれば広告は不要という計算になる。もちろん実際にどうかではなく考え方の問題に過ぎないが、でもまぁ、そういう考え方も成り立つ。僕が「そうか、インターネットも面白いかも」と思ったのは、他にもいろいろあることはあるが、基本はそこにある。でも、それは「インターネットが普及すれば自然にそうなる」という話ではない。ハードコストが下がった分、価格を下げるという方法もあるし、価格をそのままにして「より儲かる雑誌にする」という選択肢ももちろんある。
だからこれは「インターネットだからどうのこうの」という問題ではない。インターネットという技術をどう使うか、という人間の(事業者の)意志の問題なのだ。そしてそれを決定する時の要件は、個人法人の利益を優先するか、それとも社会全体の利益を優先するか、ということだ。そしてそのどちらを選択するかは我々の自由に任されているし、その選択の結果を引き受けるのも我々自身だ。


[2001年02月08日]