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1989年夏『情報デザイン基礎講座』のための前書き

先週、「10年ちょっと前の原稿を再掲載させていただく」と書いた。正確にはちょうど12年前の夏から秋にかけて、(おそらく)日本初のDTP専門誌『BugNews(バグニューズ)』に連載した原稿である。この業界での12年前など大昔だが、この領域での基本的な問題はなんら解決されていないようにも思える。とはいえ状況説明は必要だろう。まず、前書きとして当時のことを含め少し書き記しておく。初回の書き出しはこんな風に始まる。

「PERSONAL DTP SYSTEMS」から「情報デザイン基礎講座」へ
ネットワークという新しい情報流通回路をどうデザインするのか、
全ての人に開かれたデータベースをどう構築するか…
情報生産、流通、管理、そしてソフトウェアに対する仕様書の提案、
あらゆることが「情報デザイン」の作業領域として開けてくるはずだ。

1989年、DTP離陸前夜。

12年前、DTPは離陸前夜だった。Macintoshワークステーション用のDTPソフトが市場に現れ、ライターのワープロ専用機ユーザーも一般的になり始めていた。印刷業界もコストダウン、省力化のために電子化に積極的に取り組み始めていた。しかし、デザイナーの道具は紙とロットリング(製図ペン)であり、編集者はライターから送られてくるフロッピーに右往左往していた。
デザイナーや編集者の大半はパソコンを“高価なおもちゃ”としてしか見ていなかったし、まして、ネットワークなど“パソコンオタクの趣味”としか捉えていなかった。ネットワークといっても、インターネット、そもそもLANでさえ大学や企業の研究所で使われているだけで、我々が使えるのはいわゆるパソコン通信で、そのユーザー数も10万人を越すかどうか…そういう時代。

この連載のポイントは4つ。

  • 情報デザインの主たるターゲットがコンテンツではなく、むしろ情報流通回路(インフラ)であること
  • その回路の基本がデータベースになること
  • 仕事の基本が“制作”ではなく“提案”にあること
  • 情報デザインが新たな職域となるであろうこと

連載は基本的にこの路線に沿って展開されていった。僕はまず雑誌の質が本質的に変わっていくと考えていた。別に予言ではなく、当時の流れを見ていれば誰にでもわかることだが、僕は「すべてのメディアが情報誌化する」と書いている。曰く

これからはむしろこちらの方が一般的な分野になるだろう。流通すべき情報量は増える一方だし、こちらから取材に行かなくても情報は様々な領域からどんどん出て来るようになる。今はまだコンピュータネットワークはメディアになりえていないが、これが電話のように使える本当の意味での双方向メディアになる時代には、ある局面で、取材という言葉が死語になることだって考えられる。

感じていたのはメディアから送出される情報量が人間の処理能力(摂取能力)を明らかに上回っているということだ。それが多くの問題を引き起こしつつあるのではないかと。では、それを根本的に解決する方法があるのかないのか、あるとすればその主体は誰になるのか。そして、どのように。
大量の情報に日々曝されている情報消費者である我々自身が、情報をコントロールする方法と倫理を創り出すということだ。そして、それが“ビジネスになる”ことがわかれば、うまくすれば『電脳社会』もディストピアにはならずに済むかもしれない。
この連載は3回目にして雑誌そのものの休刊を迎える。その最後に僕は急遽まとめとして、次のように書く。

結論は実はもう出ている。私が欲しいのはデータベース(といっても、普通のワープロの文書ファイルがそのままデータとして扱えるタイブの)機能を持ったネットワークのホストプログラムだ。この連載は、この結論を関係者の方々に説明するために始めたのです。で、使う側の人が「うん、それはいい」となり、作る側の人が「それなら売れそうだ」となればいいかな…と思ったんですが
情報デザインの目的は、この現状をなんとかするための方法を考えることであり、情報デザイナーというのは、全体を見ながら、情報や資源利用の最適化を仕事とする人のことである
やはり、送り手から受け手へ、ではなく受け手から送り手側に遡及できるシステム(データベース)が、オンラインネットワークの中で利用できるようにならないといけない。CD-ROMも悪くはないが情報の中には鮮度の要求されるものも多いし、それまで正しかったものが、ある日突然間違いだったと判明することも多いのだから

干支がちょうど一回りして、リ・スタート、である。

http://d.hatena.ne.jp/NuDI/19890401

[2001年08月02日]