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超不況、それでも海外、夏休み。

“紙のデータをいかにデジタルデータに変換するか”なんて悠長な話をしているうちに、日本は全国的に夏休みに突入しつつあるらしい。テレビのニュースでは「空前の出国ラッシュ」なんだそうだ。でもその後のニュースは「日経平均はバブル以降最安値を更新した」で、その次の「都心の億ションが即日完売した」という話は、いつの間にかどこかで「姉妹が餓死した」なんて話に変わってる。
ただでさえ暑さで制御不能になりかけている僕の頭は、そんなニュースを見ているとますます混乱してメルトダウンしそうだ。おまけに自宅のクーラーは壊れている。電気屋さんに電話したら「この時期、忙しいんで2、3日待ってください。」…それまでに僕の頭が“熱的死”を迎えていないことを祈るばかり。
テレビのコメンテーターが言うように、今の日本を分析する最良のキーワードは、たぶん“二極分化”なんだろう。富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなる。小泉さんの“聖域なき構造改革”とやらも、どこかの大学の先生の助言に従ってアメリカ流のグローバリゼーションが旗印らしい。だから、たぶんこの傾向は強まることこそあれ弱まることはないのだろう。
なんとなく、カラオケで井上陽水の『傘がない』でも歌いたい気分だ。

“傘がない”あるいは“まとまりが付かない”

こんな話を書くのは反則のような気もするが、でも“宇宙のエントロピー増大、あるいは宇宙の熱的死、という言葉がそのまま実装されてしまったような異常な暑さ”をいいわけにして書いてしまおう。それは“情報デザイン”を掲げているくせにちっとも本題に入れないのは何故か、という話なのだけど、その理由はある程度見当が付いていて、それは“情報デザインを実装するための(デジタルの)インフラがまだ見えない(出来ていない)”ということだ。
もちろん情報デザインという考え方にはアナログもデジタルもないのだが、インフラが異なれば実装(実際に使えるものにする)方法も異なるし、できることも大きく違ってくる。たとえば、本とウェブの違い。見かけこそ似ているが、一方は“インクで印刷された紙の束を手でめくって読み進む”し、もう一方は“ディスプレイ上に点滅する信号をマウスを使って制御する”。紙の本と同じ方法でディスプレイ上の情報をデザインすることはできない。
僕らは本を読むときにわざわざ“ページの端を指でつまんで紙をめくる”なんてことは考えないし、“いま全体のどのあたりを読んでいるのか”なんてことも考えない。まして“次のページを読むにはどのボタンをクリックしないといけないのだろう”とか、“ブックマークをしなくちゃ”だの、“ああ、このページはなくなりそうだから保存しておかなくちゃ”だの“そろそろバッテリーが切れそうだ”だの意識せずに読む。
紙の本が持つ“機能”や“インターフェイス”を意識することがないのは、それが確固としたインフラとして確立しているからだ。しかし、デジタルコンテンツにはそんなものは“ない”といっていいほどに不安定で未熟だ。そもそも、僕らの日常で生成されるデータをどうやってデジタルデータに変換するかなんてことでさえ、まだうまく出来ないのだから。
ブロードバンドだのストリーミングだのテクノロジーの変化が著しい分だけ、そこにどうやって、どのような形で情報を乗せていくのか、あるいは流通させるべきか、というソフト的なデザインは困難になる。かといって、テクノロジーを無視しては“土台のない家”になりかねない。さて、どうするか。

“情報デザイン”の原点に立ち返ること

数ヶ月前、『日経デザイン』という雑誌の取材を受けた。テーマは「紙のページデザインとウェブのページデザインはどこが違うのか」である。なんだかんだと喋ったものの、端的に言うなら「同じところもあれば違うところもある」という、なんとも凡庸で当たり前の話しか出来なかったのだけど、“ページデザイン”と限定してしまえば、そういう話にしかならない、ような気がする。
かといって、本質に切り込もうとしても、あるいは逆に実際的な話に振ろうとしても、ここ数ヶ月の悪戦苦闘が証明する通りで、なんともまとまりの付かない“訳のわからない話”になってしまう。おまけに僕はこれでもいまだに現役のデザイナーであって、事態を外部から客観的に眺めることのできるジャーナリストではない。まるで実況放送をしながらF1をドライブしているようなものだ。「私は“饒舌の貴公子”ミヒャエル・フルダチ・シューマッハです」とか。
「じゃ、書かなきゃいい」…その通り。百も承知で、そのほうが楽だ。しかし、「書きたくて書いているワケではない」なんて、どこかのタレント候補みたいになるので言いたくない。…なぜ書くのか、その答えはこの連載の最初に書いたように、ある雑誌の連載にまで遡る。もう10年以上昔に書いた原稿なのだけど、いま読み返してみると10年経っても事態が本質的に変わっていないことに愕然とする。
というわけで、次回から4回に分けてそのオリジナルを再録させていただくことにする。若干古くなっている部分もあるので、追加説明が必要な部分は補筆するものの、基本的には原文のまま。10年前の原稿をそのまま載せるというのは反則のような気もするが、なにせ“タレントやレスラーが大挙して選挙に出る時代”で、この程度は反則のうちに入らないのではないか、と。
そういえば、今週末は参議院議員選挙だ。

[2001年07月26日]