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情報デザインにとっての視覚デザイン

正月らしくない正月と情報デザインという組み合わせは、やはりいまいちピンと来なかった。もうちょっとベタな話をしてみることにする。情報デザインの立場から視覚的デザイン(いわゆるデザイン)を見るとどう見えるかという話だ。
デザインはカッコイイものである……と、どうも誰もが思っているらしい。たしかに「カッコイイデザインの○○(テレビでもコンピュータでもバッグでも何でもいい)」は、現実にいくらも存在する。しかし「カッコワルくデザインすることはあり得ない」わけではない。あえてカッコワルくデザインしなければならない場合もあるのだ。デザインとはカッコイイものだ」というのは一種の勘違いである。
身近な例はWebサイト。Webサイトの基本は文字……中には一切文字の入っていない尖ったサイトもあるが、通常のサイトでは本文はもちろん、ナビゲーションコピーもボタンも基本は文字である。さて、その文字が重要な役割を持つ場合、その文字をアルファベットにするか日本語にするかで見た目はまるで違ってくる。
どんなにクールでカッコイイWebページも、文字をアルファベットから日本語に変えた途端、ひどくカッコワルく、いわゆる“ベタな感じ”になってしまう。そのために日本語を使いたがらないデザイナーはとても多い。一方、クライアントもつい見映えのいいデザインを採用してしまったりする。そんなこんなで、やたらとアルファベットが巾を効かすWebページができあがるのだが、それは僕に言わせれば「デザインとはカッコイイものだ」という錯覚がもたらす悲惨な結末だ。
実際に、サイトの表記をアルファベットから日本語に変えた途端、ページビューが倍近くに跳ね上がった例がある。逆に言えば、このサイトはアルファベットを使ったカッコイイサイトのおかげで、お客さんを半分以上逃がしていたことになる。Webの目的はお客さんに来てもらって、きちんと必要な情報を取ってもらい、あるいは快適にショッピングしてもらい、また来てもらうことである。カッコイイデザインのおかげでそれが達成されなかったとしたら、そのカッコイイデザインとはいったい何のためのものなのか、ということになる。


■サイトのナビゲーションは洗剤の裏の説明書きでもある
サイトのナビゲーションとはアイキャッチでもお飾りでもなく、サイトを使うためのものである。何かを使うためのもの……たとえば「洗剤ボトルの裏にある説明書き」、ここには「塩素系の洗剤と混ぜて使うと危険です」などと書いてある。もし、これがアルファベットで書かれていたらどうなるか。使いにくいどころの騒ぎではなく、命に関わる大問題だ。サイトのナビゲーションが使いにくくても人の命には関わらないが、売上げという企業の生命線には関わってくるだろう。
と書くと少々断定的過ぎて僕の好みではないし、少々たとえが違うんじゃないの? と自分で思わなくもないが、まぁいいとしよう。ようするに「いくらカッコ良くても実用性の低いナビゲーション(デザイン)には大いに問題がある」と言いたいだけだ。情報デザインは「実用第一、カッコイイは二の次」が基本。サイト本来の目的が達成された上であれば、カッコよければいいほどいいのは当たり前だが、その逆はあり得ないと考える。
だから、情報デザイン的に考えるなら、あえてカッコ悪く作らなければならない場合もあるのだ。というよりそちらの方が多いと言うべきだろう。その意味で、情報デザイナーはデザイナーとしては悲しい商売かもしれない。そのうえ、そこまで考えて、あえてカッコ悪くしているのに、その理由をなかなか理解してもらえない。クライアントが「ちょっとベタだね。この辺、英語でもいいんじゃないの」などと仰る場合さえあるんだから。
こう書くと「すべてのナビゲーションは日本語であるべきだ」と言っているように聞こえるかもしれないが、もちろんそういう話ではない。時と場合によってはアルファベットのほうがいい場合もある。つまり、情報デザインとは、見映えの前に、いつどこでどんな人がどういう目的で使うのかを考え、それにもっとも相応しい方法を考えることであり、時によってはデザインよりも情報(伝達度)を優先させる、ということなのだ。
情報デザインの“デザイン”の前に“情報”の文字が付いているのはそういうわけなのだ。
…うーん、この原稿は戦略的にはあんまりウマくないかもしれないなぁ。こんなことを書くと「そうか、情報デザインというのは地味な仕事なんだな」と思われて、なりたがる人が少なくなりかねない。しかし「情報デザイナーはカッコイイ職業です」とか書いて、カッコイイに憧れる人たちが増えちゃうと、よけいに事態を面倒にするだけだから、これはこれでいいのかもしれない(独白)。


[2001年01月18日]