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見えない“情報が伝わる構造”を探して。その3

今回も前回の続き。第3階層「ライブ・インタラクション」という部分の説明。コンテクストとコンテンツの間になんでこんなおかしなモノが入っているのかと思われるかもしれないが、コンテクストのないコミュニケーションというのも存在する。たとえば、駅のホームで他人と偶然肩が触れてしまった場合などだ。あなたと相手の間には“そこに居合わせたこと”以外に何の共通項もない。そのような場合、つまり、コンテクストがない、あるいは非常に低い場合には、その場でコンテクストを作りだしていくしかないことになる。
駅のホームで他人と偶然肩が触れてしまった場合…相手が同性であれば「スミマセン」の一言で終わってしまうだろうが、もし魅力的な異性だった場合にどうなるか。“おっ”と思った瞬間、あなたの頭脳はフル回転を始める。どこかに会話の接点はないものか…と。持ち物に特徴はないか、身につけているものは…それでダメなら行く先は…「ああ、そうですか、僕も××なんだ」程度の嘘は付くだろう。

リアルタイムにコンテクストを作り、修正すること

「何の仕事してるの?」「へー、××のサポートかぁ。じゃ、こないだ電話に出てくれたの、あなたかなぁ」「ははは…嘘だよ。でも大変だよね、あの仕事」…などと続けられるためには、相手の顔色を見ながら当意即妙に会話を組み立てていかなければならない。こういうのを僕は「ライブ・インタラクション」と名付けている。
相手の微妙な仕草の変化、声のトーンの変化、表情の変化、そういうノンバーバル(非言語的)な情報から相手の心理を読みとり、自分の会話を変化させていく。何のコンテクストもコンテンツも存在しない状態からその両方を作り出していく…リアルタイムに相手の状態を把握し、そこにコンテクスト(コミュニケーションの土台)を作っていくことに長けた人は相手とまったく初対面であっても、きわめてスムーズにコミュニケーションを成立させることができる。
こういうことはそんなにあることではないが、同じようなこと、相手の顔色を見ながら会話を調整することは、あなたも仕事場でも家庭でも無意識のうちに行っているはずだ。こういったコミュニケーションを手紙や電子メールと区別するために“同期コミュニケーション”あるいは“対話的コミュニケーション”と呼ぶ。その特徴は言うまでもなくリアルタイムだ。

ネットのコミュニケーションは“リアルタイム”ではない

一般的にはネットでのチャットもリアルタイムコミュニケーションと呼ぶが、厳密に言うならあれは“リアルタイム”でも“インタラクティブ”でもない。“リアルタイムなコミュニケーション”をごく簡単に説明するなら、“はじめに用意していた流れを会話の途中で変えてしまう、極端な場合には反対の結論にしてしまう”ようなことだ。つまり、「あの件については×××という方法もある(相手の表情が変化する)…かもしれませんが、僕はちょっと違うのではないかと思います(表情が戻る)」といった具合に。
しかし、説明するまでもないが、ネットのチャットでは相手の表情の変化も声の変化もわからないから、「あれって×××だよね(^^);」と言い切ってしまって大失敗ということが起きる。チャットだけではなく、掲示板の書き込みでも電子メールでも同様。現在のネットのコミュニケーションツールはそのほとんどが厳密には“リアルタイム”でも“インタラクティブ”でも“双方向”でもない。あえていうなら「極めて短時間のうちに一方向性の情報が行き来する結果、あたかも双方向、インタラクティブなコミュニケーションが成立しているように見える」ということにすぎない。
「極めて短時間のうちに一方向性の情報が行き来する」というのは、「0か1の信号がごく短時間に連なることによってあたかも連続した音(アナログ)に聞こえるデジタルサウンド」とよく似ているとも言える。デジタル音もサンプリングレートを上げていけば、限りなくアナログ音に近づいていき、最終的には人間の耳には区別が付かなくなっていくように、ネットのコミュニケーションも現実のコミュニケーションに限りなく近づけることは可能だと思う。

重要なのはドキュメントである

ブロードバンド・常時接続があたりまえになれば、映像や音声もほぼリアルタイムにやりとりできるようになるから、相手の表情を読みとって結論を変えるということも可能になるだろう。では、そういう時代になれば、社内のコミュニケーションは電子メールのような貧弱なツールではなく全部ビデオチャットなどの“リッチツール”でリアルタイムにやりとりするようになるのか、そしてそれで問題が解決するのか、というと半分正しくて半分間違いである。
仮にこれらのリッチなツールを使ってリッチなネットコミュニケーションを行ったとする。記憶装置の容量があればこの映像記録をそのまま残すことは可能だろう。しかし、その映像記録がビジネスドキュメントになるかというと違う。今でも、重要な会合であればテープやMDで録音するが、この録音テープをビジネスドキュメントとは呼ばないはずだ。
ビジネスドキュメントとは単なる記録ではなく、何がテーマだったのか、それについてどのような議論がなされたか、最終的にどのような結論に至ったのか、それによる対処はどのようなスケジュールで行われることになったのか…そういった事項が構造を持った形で記述されたものであり、そのドキュメントが蓄積されてはじめて、組織・集団における共有のコンテクストになっていく。問題は“コミュニケーションをリアルにすること”ではないのだ。


[2001年06月07日]