印象としては……
比喩として適切かどうかわからないけど、簡単に言うと「振り込め詐欺に引っかかって虎の子のお金をATMから振り込もうとしているおばあちゃんを見ていて声を掛けないわけにも行かないよなぁ」と思っているってことなんだけどね。でも、おばあちゃんもまわりの人もすっかりそれが本当のことだと信じ込んでる……わけで、そこで「それは詐欺だよ」なんて言うと「こいつ、アホか」という目で見られる、まあ、ありていに言うとそういう気分なワケです。
だから言いたいのは「ワシはどうなっても知らんぞ、それがほんとかどうかちゃんと調べたほうがいいんじゃないの?」と。そんだけ。早く早くとせかすヤツにろくなヤツはいないよ。ほんとに。落ち着いて調べて、考えてね。グーグル使えばいくらでも調べられるんだから*1。
というわけで、とりあえず、これ読んでみて。
*1:これは「グーグルが全面的に信頼できる」って意味ではありませんので誤解なきよう
AppleStore 渋谷店
で、AppleStoreですが、ほぼ思った通りというか、内装はきれいだけど「ただそれだけ」って感じでした。いやー並ばなくて正解(笑)。並んでたら腹立ってたはず。商品の種類が豊富にあるわけでもないし、じゃその分魅力的に見えるようにディスプレイされているかというとそういうわけでもなく、ただきれいなだけ。別にそんなことをしなくても商品は十分に魅力的ですから……そう言いたいのかもしれませんが、そりゃ話が別だよ……と言ってもわかる人たちではないで言いませんけど(笑)。
というわけで、マウスだけ買って他には目もくれず出てしまいました。ま、腰が痛いってのもあったんですけどね。そうそう、階段の下3段ぐらいが1階のフロアと同じ材質にしてあるのはインターフェイスとして明らかにまずいと思いますが。僕なんか近眼だから床だと思って転びそうになっちゃったよ。ま、デザイン的にはそっちのほうがきれいに見えるのはわかるんだけど……アップルにはありがちな勘違いというべきか。
Mighty Mouse
アップル純正マルチボタンマウスということで、月曜日に渋谷のアップルストアくんだりに出向いて行って買ってきました*1。……で、実は土曜日の開店日にも行ったんだけど暑い中行列が出来ているのを見てさっさと回れ右したのは私です。
OSXになってから普通のWindows用の2ボタンマウスが使える(右クリックも使える)ようになって、これは便利というので2ボタンデフォルトで使っていたのでそんなに違和感はなかったけど、ずっとアップル純正1ボタンの人は少しとまどうかもしれません。あと、このちっこいポッチは「うーん、いいんだか悪いんだか微妙」です。デザイン的な意図はわからんではないが、使いやすいかというとねぇ。
具体的な話でいうと、垂直スクロールの移動量と水平スクロールの移動量のバランスに問題がある。水平スクロールを適正量にすると垂直スクロールが過大になっちゃうのである。あと、ちょっと触った感覚も柔らかすぎて不安感を感じます。普通に触るとこのボタンに割り当てた機能が有効になっちゃうので神経を使うのはまずいと思うけどね*2。逆に、サイドのエリアはかなり力を入れないと反応しない。どうも感度の設定バランスが取れてない感じがします。
[追記]どうも変だと思っていたけどやっぱり。このマウス、スティッキーズでスクロールが効かない。Windows用のマウスではスクロールできるのに。やっぱりこのへんがアップルだ……(ショボン)。
コイズミさんは悲劇の宰相か(笑)?
いや、笑っちゃうというか、あんまりバカバカしいので書くことにする。ほんとは書きたくないのだけど、書かないと精神の汚染が進むので「毒素を私の体外に排出するため」だけに書く。……ので、コイズミファンの方は読まないでね。
で、本題だけど、もちろん、悲劇の宰相なんかではないが、確かに「悲劇の人」ではあると思う。自らの信念で行動していると錯覚しているという意味で。で、もっと悲劇なのは実は我々日本国々民なんだけど、我々国民はぜーんぜんそんな風には思ってないらしい。だからこそ、コイズミさんの支持率が上がっちゃったりするんである。我々日本国民にとって重要なのは論理ではなく感情なのである。法的に見てどんなに滅茶苦茶であろうが、悲劇的に見えればそっちのほうがオッケーなのだ(笑)。
で、それはそれでいいと思う。最終的に責任を負わされるのは我々国民であって彼ではないんだから(笑)。バカな選択をすればバカな目に遭うのは60年前も今も同じだ。で、僕は別に「オレはバカではないぞ」と言いたいわけでもない。なぜならこの国にとどまっているからだ。さっさと国外退去しろよ>自分、である。……でもそうも行かないわけで、仕方なく書くわけである。他にできることもないし。(続く)
しかし、この手の話はできれば避けたいが避けられないので他の話も書くことにする。ああ、面倒くさ。コイズミさん、いい加減にしてくんないかなぁ(呆)。
空が黒く見えた日
昨日は台風一過で雲一つない青空が広がるいわゆる「いい天気」だった。でも、代々木駅のホームから何気なく空を見上げたら、空が黒く見えて変な気分になった。「黒く」というのはもちろん少々オーバーだけど、でも「変な気分」にさせるには十分な色だったのだよ。「この大気の層がなくなる上空には漆黒の宇宙が拡がってるのね」的な気分。「宇宙飛行士たちが帰還すると誰もが少し宗教的になるのがわかる気がする」的な気分。
それで、「限りなく透明に近いブルー」というフレーズを思い出した。そうそう、この場合の「透明」は白(明)ではなく黒(暗)なのだ。
上の写真は翌日(2005年7月29日)に、ほぼ同じ場所から撮影したもの。両方とも補正は掛けていないが、空と影の面積比が異なるので完全に同じ撮影条件とは言えない。でも空の色はたしかにこんな感じで違っていた。
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ワタシはなぜ"モダンホラー"が苦手なのか
というのがここ数年の個人的な謎の一つだったのだけど、ちょっとしたきっかけで「ああ、ひょっとするとこれが理由かも」と気が付いた。
実を言うと、もともとホラーというか怖いのは大好きで、夏ともなればテレビの深夜枠でやるホラーは見られるときには必ず見てたのだ。吸血鬼、フランケンシュタイン、ミイラ男に、ゾンビだって悪くない。もちろん、日本の四谷怪談も、上田秋成の雨月物語の数々も。クラシックホラーファンとでも言えばいいのかな。
ところが、どうにもいわゆる“モダンホラー”は好きになれない。好きになれないどころかパッケージ見ただけで気持ち悪くなる。だから実を言うとまともに見たことがない。怖いとか何とかいう以前の問題。「まともに見ないでなんで苦手だとわかるのか」ということに話は当然なるんだけど、それも不思議なんだけど、どんな話かの噂を聞いた時点で直感的に「これはダメだ」と思っちゃうのであります。
で、その「きっかけ」なんだけど、実は思い出したくないのだ(笑)。あまりにも気持ち悪い物*1をネットで見てしまったんだけど、それは死体写真とかそういう手合いではなく、あるものとあるものの合成写真なのです。両方とも自然界に存在しているものなんだけど、それを合成するとトンデモなく気持ちの悪いものになるんだよね。で、ネットだから当然話題になってて、それを読むと「ほんとなら怖いが合成だから怖くない」って人が結構居て、僕はそれがひどく不思議だったんだけど……まぁ、そのせい(合成だから怖くないって感じ方が存在することを知ったおかげ)で、逆になぜ僕がモダンホラーを苦手としているかの理由がわかったのだけど。
ようするにモダンホラーって人間の匂いがしない、どこか人工的な感じがするってことなんだ。クラシックホラーの場合、どんなに容貌が怪異であっても、人の匂いがするし、存在の弱さとか哀しさみたいなものを感じるんだけど、モダンホラーとか、例の合成写真にはそういう匂い、弱さの匂いがない。変に強靱というか純粋の悪意というか、そういう物を感じてしまうので、怖いという感情よりも気持ちの悪さが先に来ちゃうのだ。
つまり「何のためにそういう物語やビジュアルを作るのか」の理由がわからないから気持ち悪いんだよね。「手段が自己目的化してしまったときの気持ち悪さ」にちょっと似てる感じがするのだ。で、もっと怖いのは、こういうホラーが人気になってクラシックホラーに誰も見向きもしなくなったこと(簡単に言えばクラシックホラーなんて誰も怖がらないってことだ)。
それって、気持ちの悪い「手段の自己目的化」がごく当たり前に横行しているってことの反映だとも考えられるわけで、つまりは、この時代はクラシックホラーが癒しの物語に思えるほどに「強靱に気持ちの悪い時代」なのかもしれない、と。で、そのことにさえ気が付いてない、と。いやースゴイ時代だなぁ。