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「マイノリティ・リポート」を見た

そんなに期待はしてなかった分だけ面白かった。期待してなかった理由は監督がスピルバーグで主演がトム・クルーズだからだ。いや、この2人が嫌いというか評価しないというわけではなくて、「この組み合わせでP.K.ディック(の作品)を映画化する」というのがどーもねぇ……という話。

面白いには面白いんだけど、見終わって「あれー、この話ってこういう話だったっけ?」と思った。それは見る前からわかっていたことであるとしても。原作(もちろん翻訳)は、ずいぶん前に読んだので話の筋はすっかり忘れていたんだけど、それでも「あれー?」と思ったのは、結末がまるで「ディックっぽくない」からだ。ま、ディックっぽくない……というなら、そもそもスピルバーグトム・クルーズもディックっぽくないわけで、この組み合わせでディックということ自体がそもそも間違い……とか書いていると、この文章自体が循環しはじめて時間の輪の中に閉じこめられそうな気がしてくるので、別の話にする。

そうそう、だから、こういう変な感じがディックっぽさなのだ。「ワタシをワタシにしているのはワタシの記憶である。であるならば、もし、ワタシの記憶がワタシのものでないとするなら、このワタシはいったいワタシと呼ぶことができるのだろうか(以下、再帰的に続く)」というのがディックであって、スピルバーグトムクルーズが、こういう一種、病的な感覚を表現できるのかどうか非常に疑問だったし、実際に見終わって「なんだ、やっぱわかってないじゃん」とか思ったワケ。いやトムクルーズスピルバーグが健康的だと言いたいわけではなく、病気は病気なんだけどディックの病気とは違うってこと。

ま。……にも関わらず「面白かった」というのは、そのディックのディックたる所以の部分を除けば、ということです。作品というのは読み手によっていくらでも異なる解釈があるわけで、こういう解釈があったってゼンゼンかまわない。この映画を見て「この原作ってどんなの?」と興味を持てば原作を読めばいいんだから。実際、僕だって「ブレードランナー」を見てから「アンドロイド(は電気羊の夢を見るか)」を読んだくちなわけで、偉そうなことを言える筋合いでもないし。「ああ、面白かった」で済んじゃう人はそれはそれでハッピーエンドなワケで、ハッピーエンドが好きな人に「ハッピーエンドはけしからん」と言ってもはじまんないでしょ。

もう一つ良かったのは「スピルバーグ臭すぎなかった」こと。この映画をなんとなく敬遠してたのは、実は「プライベートライアンみたいになってたらやだな」と思ってたからです。世の中の評価はどうか知らないけど、個人的には「プライベートライアン」って、「こういう映画作ってはいけませんね」の代表作なのだ。この件は書くと長くなるし、前にも書いた覚えがあるのでまたいずれ。