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「きれいであること」と「きれいにすること」

NuDI2005-01-14


子どもの頃、日曜日になると家の掃除をさせられた。自分の部屋はもちろん廊下だの階段だの応接間だの玄関だの。「掃除しろ」と言われるたびに「あーあ、やだなぁ」と思った。きれいにしたっていずれ汚れるからだ。一度掃除したらずっときれいなままなら掃除する意味あるけどなぁ。なんかヒジョーにむなしいよなぁ。世をはかなむよなぁと。……しかし、今は結構掃除は好きである。なぜか?

「きれいであること」より「きれいにすること」のほうが、楽しくて面白いということに気が付いたからだ。一所懸命丹念に掃除すればしただけきちんときれいになる(なんないもんももちろんあるけどね)。そういう体験は実はなかなかできないのである。……えっ? なんか教訓くさい? そうかなぁ。たとえばこういう話を考えてみたらどうかなぁ。

あなたは割とヒマなそこそこ恵まれた専業主婦であるとする。でも掃除は嫌いだ。理由は「どうせ汚れるんだからむなしい」でもなんでもいい。で、はたと考えた。まずパートの口を探す。で、パートで稼いだお金で誰かに掃除してもらったらどうだろう、と。そうすれば掃除しなくて済む。今の生活費を切りつめる必要もない。

ま、これは極端な話なので変であることはすぐにわかる。でもね、僕らって結構これと似たようなことをしてるような気もするんですよ。どうですかね。

写真は見たとおり台所の流し台です。洗い物をしている最中に「そうだ」と思って写真を撮ってこの文章を書いています。僕けっこう台所が好きなんですよ。料理はしないけど。洗い物したり片づけたりすんのが。……そういえば、写真に写ってるのはおちゃっぱですが、電気掃除機がないころってこのおちゃっぱが掃除道具だったんですよね。少し絞ってそのまま床にまくんです。そうするとゴミとかチリがおちゃっぱにくっつく。そうすると箒ではいてもゴミが舞い上がらないし、おちゃっぱの残り香が付いて、家の中が独特のにおいになるんです。今でも下町の古い家に行くとそういうにおいがするはずです。