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神道的なるモノについて考える

NuDI2005-01-02


心機一転あるいは新規一点。あらかじめお断りしておきますが、ワタクシは決して「右翼」でも「宗教者」でもありません。ただ人間と環境ということをいろいろ考えていったあげく……たとえば、おいしいお餅を食べた時に、これを熱い南の島のビーチリゾートで食べておいしいと感じるだろうか、なぁんて考えてみたりすると、この気候と風土とそれが作り出すある種の文化というか情報環境というか、がこの「おいしいお餅のおいしさ」を担保しているようにも思う……つまり、この日本におけるベーシックな情報環境として「神道的なモノ」を無視できないなと思うようになったのですよ。

キリスト教文化圏の連中と突っ込んだ話をしていると「神とGodの違い」なんてことがひどく気になってくるわけです。Godは人間の外部にあってこの世界のすべてを創造した造物主ですが、神は人間だけでなくありとあらゆる事象・現象の内部に存在します。で、これは相互に理解するのはとっても難しい。なぜ難しいかというと、その世界観が「自然になっている」言葉を換えれば血肉化されている。あるいは無意識化されている。つまり、世界を捉えるベースとなっている感覚がまったく違うのです。だからこそ、この場所(日本)に仏教を持ち込もうが民主主義を持ち込もうが、どこか本質的に異質なモノになってしまう(してしまう)と。

じゃ、そもそも、それらをあるがままに把握することは可能なのか……スマトラ沖地震津波の情報をなぜかケーブルテレビのCNNやBBC経由でしか得られないことに「やれやれ。この国にとってメディアとはいったい何なんだ?」とか思いながら仕事初めを迎えたところ。