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 第10弾へのコメント3---社内会議はF1レースにおける“ピットストップ”である

昔、デジタルなコミュニケーションツールが存在しない時代には、会議はたしかに重要なコミュニケーション手段、情報共有のためのツールだった。しかし、電子メールをはじめとするデジタルツールが発達した今、以前と同じ重要性を持っている、あるいは、同じ機能を持っていると言えるだろうか。[松岡裕典
会議を活性化する方法に触れた書籍はたくさんあるはずだ。長いだけで退屈な会議に飽き飽きしている人や、形式ばかりで内容のない会議に苛立っている人もたくさんいるからだ。その結果、「無駄な会議なんて辞めよう」という議論も出てくる。どのような議論にせよ、そこでの前提は「会議は仕事・業務である」だろう。
しかし、ほんとうにそうだろうか。会議は業務そのものではなく業務を支援するためのもの……F1レースに喩えるならタイヤを交換したりガソリンを補給したりする“ピットストップ”のようなものなのではないか。どんなに頑張って順位を上げても、ピットストップの時間が必要以上に長ければあっというまに順位は逆転する。それと同じように「会議の時間が長ければ競争相手に抜かれるだけだ」と考えたらどうだろう。
また、昔の自動車レースとは違っていまのレースはテレメトリーと呼ばれるシステムによってクルマの状態は無線で送信されピットで把握できる。だからピットストップの時にドライバーは「あそこが調子悪い」とか「ここを見てくれ」などというコミュニケーションも不要になっている。
そのテレメトリーシステムを我々の会議に当てはめれば、社内の掲示板やメーリングリストになるはずだ。このテーマを中心に据えたのが奥出直人さんの『会議力』という本(平凡社新書)なので興味のある方はそちらを見ていただいたほうがいいだろう。
こんなふうに書くと「会議なんか意味ない」と言っているように聞こえるかもしれないが、まったく逆だ。メールや掲示板などのオンラインツールでのコミュニケーションは「会議」に比べると圧倒的に貧弱だし、それを補おうとすれば膨大な労力=時間がかかる。会えば5分で決まることが数時間かかっても決まらない場合さえある。ただ、そのことに寄りかかると無駄な会議が大量に発生してしまうと言いたいだけである。
「会議」はたしかに様々な問題を抱えている。掘り下げていけば日本人の深層心理・文化にまで到達してしまうような根の深い問題でもある。そう簡単に「これが正解」が出るとも思えない。とりあえず「会議は業務そのものではない」と考えることで何かヒントが見つからないかと思ったのだが、どうだろう。
もちろん「社外の人との会議やアイデアを出し合うミーティングも業務ではないと言えないだろう」という反論は承知の上。「業務ではない」と考えてみることで、逆に「業務としての会議とはどのようなものであるか」が少しははっきりするのではないかと思って、こう書いたのだ。
(Fri, 16 Apr 2004)