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再利用するのはドキュメントよりもメモなのだけど

どうも雰囲気がUMLの話になりそうで、それはそれで非常に正しいアプローチだと思うのだが、根が天の邪鬼なせいかギャンブラーなのか、そうなると逆に振りたく(張りたく)なってくる。構造化できない領域、未分化な領域に行きたくなるのだ。[松岡裕典
僕の元々の本業は出版系のデザイン(雑誌のレイアウトや単行本の装丁など)だ。だから自分の作品は一応残してある。しかし、新しい仕事が来たときにそれを見るかというとまず見ない。触発される部分がないからだ。
というとまるで作品の質が低いように思われるかもしれないが、そうではない。作品(作業)というのはそれの仕事(クライアントとテーマ)に最適化させるために、余分なものを全部そぎ落としてある。つまり僕の中では「終わっちゃってる」ので、そこから次のアイデアは出てこないということなのだ。
じゃ何も見ないかというとそういうわけでもない。主に見るのは、以前の作品を作ったときのメモである。その手書きメモには作品にするためにそぎ落とす前のノイズがたっぷり入っている。ノイズというと聞こえは悪いが、未完成な部分や可能性の萌芽みたいな部分のことで、それが「これってどうなるんだろう」というタイプの想像力を刺激するのだ。で、それと新しい仕事をぶつけてみるとまた別のアイデアが生まれてくる(場合もある)。
もちろん他人の作品を見ないわけではないが、手書きのメモには他人の作品を見た記憶というか影響がすでに入っいる。それを自分なりに消化した結果がそのスケッチになっているので、そこからアイデアを取り出すほうが効率的なのである。
で、それでも出てこないと仕方なく、あれこれと他人の作品を見る。といっても特に新しい作品である必要はない。以前に見た僕と、新しい仕事のテーマを持っている僕では、見方が違ってしまっているために同じ他人の作品でも見え方が違うからだ。
少なくとも僕にとって「自分の作品(ドキュメント)の再利用」というのはあんまり現実味はなくて、むしろ、ドキュメントになる前のメモやノートのほうが利用価値がある。という個人的な話でした。
(Thu, 22 Jan 2004)