N/A

インターフェイスのパーソナライズ(パラダイムシフト)

「あるいは、ユーザーが自分の好きなインターフェイス(デザインも)選べるようにするか。」と書いたのは、現在の「パーソナライズ」が、コンテンツに限った話になっていることについて疑問をもっているからです。パーソナライズが必要なのはコンテンツではなくインターフェイスだろうと僕は思う。

人に場所を教える時、地図(鳥瞰図)を描いて教える人と「○○の交差点を左に曲がってタバコやの角を……」と教える人がいるけど、これは人によって空間認識の方法が違うからです。学校でも教科によって得手不得手が生じるのは、単にその生徒の能力だけではなく、教科によって教え方にバイアスが存在していて、このバイアスと生徒の認識方法の組み合わせで得手不得手が出てくる……と僕は思うのだけど、誰もそんなことは言わない。

つまり、インターフェイスというのは生徒の側にも学問(教師)の側にも存在していて、この2つのインターフェイスをどうやってすり合わせるか、というのが「教え方(これもインターフェイス)」の基本だと思うのだ。この2つがうまく一致するとその教科(教師)は生徒に取って非常にいい教科(教師)になる。これを生徒は端的に「あの教科(先生)は好きだ(嫌いだ)」と表現しているだけの話。

これは学校に限らず、すべてのコミュニケーション(人間関係)に言えることなんだけど、僕らはそれを単に「相性がいい、悪い」で片づけてしまっている。でも、この辺りをちゃんと研究してインターフェイスの設計に応用できれば、僕らのコミュニケーションはかなりよくなるのではないか、と思う次第。

簡単に言うなら、人間のインターフェイスのパターンを抽出して複数用意しておいて、ユーザーが自分に一番相応しいものを選ぶという方法です。つまり「インターフェイスにおける東洋医学の応用」です。東洋医学では「人の体質(実証・虚証)に合わせて薬を処方します。実証の人に虚証の人用の薬を飲ませると返って症状が悪くなることさえある(体験済み)。

今のコンピュータテクノロジーは西洋医学的なアプローチのまんまで「個人差(体質の違い、認識方法の違い)」を無視してます。この状態ではいくら高度なテクノロジーを使ってみたところで「誰にとっても使いやすいインターフェイス」を作ることは不可能です。インターフェイステクノロジーの基礎となっている認知心理学にも「個体差」の概念は導入されてないみたい(良く知らないけど)だから、無理もないとも言えるんだけど。

これは別に僕のオリジナルではなく、10年も前に漫画家のいがらしみきおさんが「人間にもOSがある。それをIMONと呼ぶ」といってます。誰も理解しなかったみたいだけど。

Date: Tue, 23 Sep 1997 12:41:16 +0900