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電子的神話世界へ

我々の思考というのは、実は自分自身で考えているほどには明確なものではなく、もっとずっと緩やかでいい加減なのだ。ぎりぎりまで追いつめることは必要だが、それでもなお曖昧模糊としたものが残るなら、そこにはなんらかの秘密(私にとって理解不能な他者の影)が潜んでいるのではないか。
それをそのまま、切り捨てずにコンピュータネットワークの中に解き放つ。それは無数の人たちにほぼ瞬時にとどき、間違いは補正され、曖昧な部分は多様な読みとり方をされ、書き手の思惑を外れていく。ある部分は誇張され第三者に伝えられ、ある部分は切り捨てられる。個人の書いたテキストは様々に形を変えながらネットワークの中を流れ続ける。誰もそれを自分のものだとは主張しない。それができないことを“原ウィルス”に犯された我々は知っているからだ。
それはまるで、古代に於ける神話生成課程がコンピュータネットワークの中で再現されつつあるようにも見える。が、それが何を意味しているのか私にはわからない。私が知っているのは「情報とは所有されるべきものでも、また所有できるものでもなく、ただ我々の間を流れ、そして私自身の中を通り抜けていくものである」ということだけだ。