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ディスプレイ上で校正作業ができない、ということの意味

コンピュータのワープロソフトやワードプロセッサを使っていらっしゃる方はご存知だと思うが、ディスプレイ上での校正作業は至難の技である。どれほど注意深くチェックしても、プリンタで印字させると誤字脱字がぼろぼろ見つかる。これもまたまったく同じ“原ウィルス”の仕業なのだ。
校正作業とは、誤字脱字のチェックに始まり、あいまいなパラグラフや読み手を傷つける可能性のある表現を修正するなど、いわば書き手個人の中で文章を読み、解釈し、曖昧さを排除して“完成度”を求める作業ということができる。言葉を替えれば文章を一つの意味に絞り込み、書き手の意図の範囲内に閉じこめようとする作業とも言える。
それが不可能であるということは、逆に考えれば、画面上の情報とプリンタによって紙の上に定着された情報はまったく異質なものであることを指し示している。画面に投影された電気信号は校正を拒否し、“完成される”ことを拒絶し、書き手の意図の範囲に抑え込まれることから逃亡し続ける、という特性において。それは動き、決してここに留まらない。書き手の意図をはみ出し、裏切る。