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ハッカーを襲った“原ウィルス”

では、なぜ彼らハッカーが“病気”になってしまったのか、あるいは“彼らを襲ったウィルス(原ウィルスとでも呼んでおこう)はどこに潜んでいたのか”を考えてみたい。僕自身の経験から推測するに、それはおそらくコンピュータの中にいたはずである。というと、まるで冗談を言っているように思われるかもしれないが……
たとえば、最初にワードプロセッサを使い始めた時の感覚を、僕は忘れることができない。それは主にディスプレイ上の文字(情報)の異常なまでの“頼りなさ”に起因する。一つキーを押すだけで文字が表示され、同じように消える。鉛筆を紙に押しあてる手ごたえも、消しゴムで消す時の抵抗感もない。それはまるで自分の思考が指先を通じてディスプレイに吸い込まれていくような感覚だった。
自分が何かを書いている…鉛筆や紙や消しゴムというメディアを通じて自分の考えを定着させている…という実感がない。考えれば無理もない話だ。ディスプレイに投影された文字、つまりコンピュータの中の記憶装置の中の文字は、単なる電気信号であり、紙やインクのように実体を持っているわけではないからだ。紙であればシュレッダーにかけても理論的には復元できる。たとえ燃えても灰という痕跡が残る。
しかし、CRT上の文字はスイッチを切れば何一つ痕跡を残さず消え、そして復元は、比喩でもなんでもなく“絶対”に不可能だ。フロッピーディスクと呼ばれる磁気記録装置に蓄積されたデータも、小さな磁石一つで簡単に破壊されてしまう。それは我々が使うワードプロセッサでもハッカーたちが使っていた大型コンピュータも事情はまったく同じだ。私が書く原稿などは、ビジネスの世界から見ればほとんど商品価値などないも同然だが、彼らが仕事として作っていたプログラムは億という単位の金額で売買されるにも関わらず。
つまり、文字情報にしろプログラムにしろ、コンピュータのデータは実体を持たないがゆえに「独占」はおろか「所有」という感覚さえ希薄にさせるのである。日本でも市販ソフトウェアの不法コピーが問題になりつつあるが、法的、倫理的な問題の根底に、コンピュータのデータの存在形式の特殊性が潜んでいる。つまり、彼らを襲った“原ウィルス”とはコンピュータの中に潜む何かではなく、データの存在形式そのものだったのである。