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PDSと市販ソフトウェアの相違

PDSの「価値に対する考え方」は、一般的な市場におけるそれとは根本的に相違している(ように見える)。それは、使用価値が、あらかじめ商品(ソフトウェア)に“内在する”のではなく、消費者(使用者)が実際に使った時点で“生まれる”ものであるかのように扱われているからである。
だから、一見「ウィルスは悪玉、PDSは善玉」のように見えるが、ビジネス=資本の側から見れば、どちらもあまり好ましいものには見えないはずだ。コンピュータネットワークを情報システムの中核に位置づける国家機関、研究機関、大企業にとってハッキングやウィルスの存在は喉元の剃刀も同然だし、PDSは、著作権の独占と販売、つまりは「知的所有権」を基礎に成立しているソフトウェア会社にとって、消費者運動よりもはるかにタチの悪い存在である。
日本では、PDSとは「ただ(もしくはただ同様の対価)で入手できるソフトウェア」という程度の認知しかされていないし、市販されるソフトウェアが正統、PDSはオマケという捉え方が一般的だが、実際にはPDSの歴史のほうが市販ソフトウェアのそれよりも長いのである。いってみればPDSというソフトウェアの共有地に杭を打ち、私有地として囲い込んでいったのが市販ソフトウェアの歴史であり、それはアメリカンインディアンの共有地に無断で入り込み、彼らを追い出して私有地を広げていった白人の西部開拓の歴史とほぼ近似なのである。