N/A

「電脳都市」の本屋さん

例えば週に1度、電話回線で出版社のホストコンピュータにアクセスする。最初に出て来るのは「今週の新刊案内」というボードだ。
ここには、今週ホストコンピュータにアップロードされた新作の要約が書かれている。これにざっと目を通し、これはと思うものがあれば、その本をまるごとダウンロードして読むことができるが、これはもちろんコピーも販売も禁止されている。
つまり、本屋さんはありとあらゆる本をタダで読むという特権を持つわけだが、一度でもそれに違反すれば、たちまちブラックリストに載り、2度と出版社のホストにアクセスできなくなる。
次に「これは売れそうだ」という本があれば、注文を出す。この場合いまソフトウェア業界で話題になっている、サイトライセンスやヴォリュームディスカウントのように、まとめて何冊か注文を出すと大幅に割り引かれるというシステムになっているといい。つまり、どのくらいの部数を取るか(印刷するか)は出版社ではなく本屋さんの決断事項となる。外れれば損するし、見込みが当たればかなり儲ることになる(こういうことがないと新しいシステムは普及しない、と思う)。
注文時にファイルの先頭に「○回プリントアウト可能」というデータが書き込まれるだけだからダウンロードは1回で済む。それに商品知識も必要になるから、今以上に本屋さんが本のエキスパートになる契機にもなるだろう。
電子出版が普及したら本屋さんはいらない、という意見もあるけど、そうは思わない。自宅の端末でひとり出版社のホストにアクセスして……というのは風景として寂しい。本屋さんに行って、「ねえ、なんか自然科学系の本で面白いのないかなあ、でもだめだよ、難しいのは……」というような会話が欲しいのだ、僕は。
出版社にしてみれば、印刷機も不要、倉庫も不要、何せCD-ROM1枚で500冊。その上営業マンもいらない(本屋さんの方から出かけて来てくれる)のだから、小さなマンションの1室で大出版社ができてしまう。
別に大出版社でなくたっていい。自分の好きな本だけを著者と一緒に作り、それを小さな無数の本屋さんと読者が支持してくれるという、ちょっと懐かしい、そして穏やかな光景すら見えてくる。
絶版という言葉が死語になる。僕らはいつでも読みたくなった時に本屋さんに行けば、どんな本でもその場で手に入れることができるんだから。
そして僕も、行方不明だった『愛のゆくえ』に、雑木林の見える小さな本屋さんで、めでたく再会することができるというわけだ。