早すぎた”イラストレーター” 長岡秀三
長岡秀三という名前を見てピンと来る人はそこそこの年配だと思う。この名前が少年漫画雑誌で頻繁に見られたのは1950年代から60年代に掛けてだから。その後長岡さんはアメリカに渡って長岡秀星としてEW&F(アースウィンドアンドファイア)など,「未来的なイラストレーションのレコードジャケット」で一躍脚光を浴びるんだけど,僕はその時代の絵よりもこの初期の絵により「未来」を感じるんです。
アメリカに渡ってからの長岡さんのツールはもっぱらエアーブラシになる。絵の具を空気で薄い霧状にしてキャンバスに吹き付ける技法で,これを使えば筆跡(ふであと)はまったく残らない……筆を使わないんだから当たり前なんだけど。完成した絵は技法はアナログでも質的にはデジタル,つまりはCGで作った絵に近くなる。たしかにそういう意味ではデジタル=未来的かもしれない。それに比べると,この画像を見てもわかるように,初期の絵にははっきりと筆で描いた痕跡が残っている。
でもこの筆跡は,当時花形挿絵画家だった小松崎茂さんや高荷義之さんのそれとは明らかに異質だ。彼らの絵における筆跡には情感が込められているが,長岡さんの筆跡からそれを感じることはできない。とても……今風に言うならクールなのだ。小松崎さん達が描いていたものを「絵画」と呼ぶなら,長岡さんは明らかに「イラストレーション」を描いていたのだった。
しかし,イラストレーションという言葉が一般化するのは60年代後期になってからの話で,当時,だから長岡さんには正当な呼び名がなかった……あえて言うなら「変な画家」としか呼びようがなかったのではないか。つまり,僕は「なんだかわからない,名付けようのない絵」を見て,未来を感じたのではないか……とそう思うのです。