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情報環境設計(まじめ版)

NuDI2005-01-25


後ろに(まじめ版)と付けるあたりがすでに怪しいけど、本気。で、この情報環境設計という言葉の大元になったのがこの1982年に作った図なのであります。情報環境設計という仕事は、真ん中(現在)のような状態を右側のような状態にすることです。……これじゃ、なんのことだかわかんないッスね。説明します。

図左:1965年とありますが、ようするに昔、情報化社会になる前、まだ大学へ行ける人が限定されていた時代、啓蒙というコンセプトが有効だった時代、書物が書物らしかった時代、テレビやラジオや電話(などの情報機器)が、まだそんなに普及しきっていない時代……を指します。極論するなら「情報とは、学校の図書館や、夕食の団らんで父親と交わす会話」だった時代のことです。

図中:60年代の半ばから80年代の半ば、つまりは知識が大衆化した時代です。本はもちろん、ラジオ、テレビ、電話などの情報伝達機器によって社会の情報量が飛躍的に増大した時代。僕らの日常はそれらの「メディアを経由した情報」に取り囲まれて、お互いの姿……どころか自分の姿さえよく見えなくなってしまった時代を指します。そこに現れたのがコンピュータという情報処理機器。僕は、この「処理」という言葉に「エントロピー減少」の夢を見たのでした。ありていに言えば「コンピュータを使えば、この情報爆発状態を終息させられるのではないか」と。しかし、大はずれであったことは、現状を見れば……。

図右:僕の個人的計画では80年代半ばからはこうなって……つまり、メディア経由の情報本体は整理され日常生活からは見えなくなっていて僕らのまわりにはそれを引き出すためのインデックスだけが存在している。居間にいても大型テレビでわけのわかんない人たちがぎゃあぎゃあ騒ぐ姿を見ることもない……なんてことよりなにより、僕らはお互いの姿をちゃんと肉眼で見ることができるし、触ることもできる。メディア情報という分厚いコートを脱ぎ捨てて僕らはもっとスッキリさっぱり、情報的に裸で暮らせるようになる。

というのがこの図の意味であります。で、全然こうなってない。真ん中状態はコンピュータとインターネットのおかげでますます拍車がかかっているようにさえ見える(技術的には一部右側みたいな状態は実現してますが)。つうわけで、僕は2000年に作った新しい会社にヌーディ(nudi):[裸の]という名前を付けたのでした。