N/A

えーと、これは後で資料をもって来ますが、個人で死蔵するデータベースというのは何なのか? という問題提起です。これに対するのがPDD、パブリックドメインデータ(一般に公開されたデータ)です。個人で作成して個人が使うのではなく、個人がつくり全体で使う共有データのことですね。

例えば、昔、調査会社なんかに行くとどこに行っても新聞の切抜きをやっていました。当時はふーんとか思ってましたが、いま考えて見ると、かなり凄い風景ですよね。あちこちの事務所でおそらくは何千というところで同じ様な切抜きがなされ、そしてほとんど死蔵されて、結局ゴミになっていくわけですから。まぁ、これは壮大な無駄です。

個人がデータベースを作ることに文句をつけるつもりはないけれど、しかし、入力には切抜き以上の膨大な時間がかかるわけで、これが数万という規模で毎日シコシコとやられているかと思うとなかなか気が遠くなります。

「クチコミ」という原始的な(?)コミュニケーションが意外に大きな威力を発揮することは,この高度情報化社会(これもはずかしい言葉)において驚異的なことです.

●情報は流れていくこと自体に意味があるのではないか? 
●都市のフォークロアの成立。マスメディアが機能不全になると同時に流行し始めた。

例えば、都市論、あるいはメディア論として「噂/クチコミ」が取り上げられているみたいだ(僕はあんまり詳しくない)。例の口裂け女に始まる、フォークロア(マスメディアという回路を使わずに子供たちのクチコミで広がる噂)をどう捉えるか、ってことだ。

高度情報化社会の日本で、どうしてああいったいわば原始的なコミュニケーション回路が成立するか、と言えば、実に簡単な話で、さっきも言ったように、マスメディアがメディアとして機能していないからだ。

子供たちはとっくに「マスメディアのコミュニケーション不在」を見抜いている。だから、それが成立するのであり、大人は(特にインテリの人ほど)、いままでのマスメディア論(マスメディアもコミュニケーション回路である)に幻惑されて事実が見えなくなっているからわからないのだろう。…というような話も面白いのだが、僕の仕事ではない。

●BBSはその中を情報が流れることによって生き続けることが出来る。
●どれほど大量のデータがあっても、日々更新されることがなければ決して魅力は生まれない。
●いったい誰が情報を私有できるというのだろうか?
●権力者は情報を私有/秘匿した途端に“弱くなる”決して“強くなる”わけではない。
●秘匿された情報は権力装置にとっての秘所であり、もっとも弱い部分になる。
●ネットは疑似現実情報としての同棲/情報としての魚屋さん

【コンピュータの可能性ということについて】

僕はコンピュータそのものの可能性を信じている。確かに人間疎外を産むケースもあるだろう。しかし、コンピュータはこれからの社会のベースとなるもの、であり考え方であると思う。いま、人間疎外が起きているからと言って忌避できるものではない。むしろ積極的に関わっていく中でしかそれ(人間疎外)は解消しない。

【コンピュータなしで社会は成立するか?】

もし、社会がコンピュータなしで成立するのならば、それはそれでとてもいいことだと思う。しかし、もはやそれ以外のテクノロジー、特にマスメディアが、人間そのものをスポイルするところまで来ている。あまりに多くの「情報」が人間の感性を摩滅させるようになりはじめているのだ。

だからと言って、コンピュータがあれば「情報」がうまくコントロールできるというような幻想をもっているわけではない。あくまで人間社会の志向として「情報に流されないような社会システムを作る」がなければ、コンピュータはむしろ情報をさらに氾濫させる方向に機能するだろう。

僕はいま、ほとんどのエネルギーをこのWENETにそそぎ込んでいる。理由はただ一つ、あまり時間が残されていないからだ。僕がいま、大規模なコンピュータシステム、あるいは巨大なメディアシステム(テレビや新聞や諸々のものたち)に対してできることなど、ほとんどない。しかし、このネットワークというシステム、考え方はまだ始まったばかりだ。まだその使い方のルールさえ出来ていない。

いったいどこが“普通のパソコンネットワーク”と違うのか? と言われてもよく説明できない。ただ、僕がいつも願っているのは、「〜について語る」のではなく「〜そのものになる」ということだ。

例えば、「交通事故の死者が1万人を突破したことについて憂う」ような書き込みをする代わりに「ネットの中に都市を作って、そこで実際にどういう都市構造にすれば交通事故をなくせるか」をシミュレートする……ということだったりする。

つまり、外側から観察する評論家ではなく、自らの問題(当事者)として考える、ということが大事だと思っているのだ。

南アフリカアパルトヘイト、中国の天安門エイズ、企業の公害輸出……普通のネットワークなら盛んに論議される問題は、WENETではほとんど話題にならない。それらの問題にとって、僕らが直接の当事者になりえないからだ。

批判することはいくらもできる。しかし、ここで批判してもおそらくは何の効力もない…あるのだが、もっとやるべきことがある…というのが暗黙の了解になっている。これをWENETの「当事者原則」と呼んでもいいかもしれない。