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[解説:2001.09.20]

今週も先週に続いて再掲載、といってもこれが最後である(たぶん)。今回は1988年の夏に書いたもので、今でいうオンデマンドパブリッシングについての原稿。とはいえ、予測を目的としたものではなく、消費者としての「こうなっていて欲しい」という希望を実現する方法を考えて書いただけなのだが、ここに書かれていることは現在ほぼそのまま、実用段階に達している。
この原稿で僕はいくつかのことを書いている。まず「出版における絶版をなくすにはどうすればいいか」ということ、次にコミュニケーション産業における「中間業者」とはどのような存在になるのか、ということ。そして、根元的には「ITはどのように使われるべきか」ということだ(むろんITという用語は使っていないが)。たとえば、こう書いている。

電子出版が普及したら本屋さんはいらない、という意見もあるけど、そうは思わない。自宅の端末でひとり出版社のホストにアクセスして……というのは風景として寂しい。本屋さんに行って、「ねえ、なんか自然科学系の本で面白いのないかなあ、でもだめだよ、難しいのは……」というような会話が欲しいのだ、僕は。

短絡的に言うなら「ITを自動販売機のインターフェイスにすべきではない」ということだ。あるいは、「角のおばあちゃんがやっているタバコ屋が自動販売機を入れておばあちゃんをリストラした、なんてのは技術の使い方として本末転倒だ」ということ。……これじゃ、何のことだかわからないか……。
当時の前提は「コンピュータ(IT)を導入すれば生産性は飛躍的に向上し、人間は機械的な労働から解放され、もっと人間的な労働をすることができるようになる」だった。しかし、10年経ってみて、その前提は180度ひっくり返り、「生産性が向上したから(結果としての)余剰人員はリストラする」になった。
リストラすればコストは下がる、しかし、同時にその商品を買うべき消費者はリストラされていて購買力を失い、その結果、市場は全体として縮退する。IT不況というのは実は「IT業界の不況」ではなく、「ITを間違って使った結果による構造的な不況(デフレ)」なのだ。
包丁はおいしい料理を作る道具であると同時に人を傷つける道具にもなる。技術が自動的に問題を解決することなどない。技術そのものよりも「どう使うか」のほうが遙かに重要なのだ。今のIT論にはそれがすっかり抜け落ちているのではないか。