N/A

 都会はドッペルゲンガーだらけである

昔、パナソニックのラジカセが気に入ってまったく同じものを2つ買ったことがあった。あるいは、バックアップのためにVAIO-C1というコンピュータを2台とか。こんな風に普通の家庭には2台ないものがあると、なんか実にこう奇妙な感じがしてくる。工業製品なのだからまったく同じで不思議でもなんでもないはずなのに。

でも、よく考えると自然界にはまったく同じ姿をしたものなど存在しない。たとえば「長さ・重さ・曲がり具合・イボの数と位置・タネの配置がまったく瓜二つのキュウリ」、あるいは、空を見上げたら「まったく同じ形をした雲があった」って、相当怖いよね。

だから「まったく同じ容姿の人間が二人いる」というドッペルゲンガーの怖さというのは「自然に反したものが存在する怖さ」であり、僕らのリアリティがゆらいでしまうことの怖さでもある。しかし僕らは都会で、まったく同じ姿形をしたもの(工業製品・電車の中吊りなんか)を日常的に見続けているわけで、都会の人間がリアリティを持ち続けるのは実はとっても困難なことなのかもしれないと思うわけです。気が付いてないだけで。